コカ・コーラ190ml エンボス瓶 1950年代(2代目) [コカ・コーラ]

MDSC_0863.jpg

コカ・コーラ190ml エンボス 1950年代(2代目)の瓶です。

この瓶はまだ一般大衆向けにコカ・コーラの国内販売が許可される前、
終戦後に駐留していた米軍向けに細々と製造していた頃の瓶です。

コーラの原液は門外不出のレシピで作られており、
その製造にはアメリカ本国からの原液の輸入が必要でした。
ところが戦後の日本はまだ貧しく、日本円の価値も低かったが故に
原液の輸入に必要な外貨割り当ての許可が国から下りていませんでした。

それに加えてアサヒを筆頭とする既存の飲料業界(日本果汁協会)が、
問屋を通さないという業界のルールを根底から覆す販売戦略を取っていた
「黒船」コカ・コーラの日本上陸阻止のための動きをしていたため
日本国内におけるコカ・コーラの本格的な普及は
1961年の販売解禁まで待たなくてはいけません。

このような事情から、戦後の日本におけるコカ・コーラは
エクスポート社や東京飲料(後の東京コカ・コーラボトリング)で
作られてはいたものの、それはあくまで米軍向けという位置付けで
基地や米軍関係者が出入りする場所(ホテル、ボウリング場等)のみでの
流通でした。
米国ではコカ・コーラは既に国民的な飲料となっており、
米軍の士気を上げるための飲料として
戦地ではなくてはならないものになっており、
終戦後の日本にいち早くコカ・コーラの供給体制を整えたのです。

ところが、そのあまりの美味しさに
米軍とは関係のない場所にも一部では闇流通していたようです。
コカ・コーラの上陸を阻止しようとした日本果汁協会は
これらを目ざとく見つけては、国にこと細やかに告げ口をしていたのだとか。

この瓶も米軍とは全く関係のない場所で拾っていますが
同じ場所より大量に出てくることから
私個人的にはかなりの量が闇流通していたのではないか・・と思っています。


MDSC_0867.jpg
ロゴ部分のアップ。文字はプリントではなくエンボス。
まだ「コカ・コーラ」のカタカナ表記は見られない。

MDSC_0864.jpg
1950年の製造年表記

MDSC_0865.jpg
1951年の製造年表記

MDSC_0866.jpg
1952年の製造年表記


1950年〜1954年の製造分が確認されています。
この時代には、無色透明のコカ・コーラ瓶(いわゆる1代目・初代)も
出回っていました。
容量もこの瓶から190mlとなりました。

参考:無色透明(初代)の瓶
https://me-young-sitter.blog.ss-blog.jp/2021-03-22

【コカ・コーラ190ml エンボス 1950年代(2代目) 千葉県安房郡にて入手】

nice!(0)  コメント(0) 

ペプシコーラ 180ml 1962年〜1964年頃 2色刷り [ペプシコーラ]

MDSC_0871.jpg
ペプシコーラ 180ml 1962年〜1964年頃 2色刷りの瓶です。

ペプシコーラの日本本土における本格的な販売の始まりは、
1956年に設立された関東地区の日本飲料が最初です。
ライバルであるコカ・コーラが大手財閥系企業の手により設立した
各地のボトラーで急拡大したのに対し、ペプシコーラは
非財閥系企業の手による拡大だっため、当初より遅れをとっていたようです。

以前、その日本飲料が1957年に本土で販売を開始した際の
3色刷りの瓶を紹介しましたが、今回ご紹介する瓶は赤・白の2色刷り。
1961年より日本国内での販売が自由化されたことで
コーラは庶民の身近なものとなり、一気に需要を伸ばしました。
その拡大期真っ只中の、1962年〜1964年頃にかけて製造されたのがこの瓶です。

参考:1961年の発売当初の3色刷りの瓶
https://me-young-sitter.blog.ss-blog.jp/2021-01-04


MDSC_0690.jpg
裏面上部の日本語ロゴは、1962年製造分は独特な手描き風カタカナフォント。

MDSC_0872.jpg
1964年製造分は70年代に流通した瓶で見られる直線的なフォントです。
(1963年製造分は過渡期のため両方のフォントが混在)

【ペプシコーラ 180ml 1962年〜1964年頃 2色刷り 千葉県安房郡にて入手】
nice!(0)  コメント(0) 

富士アイス 200ml [その他マイナーブランド]

MDSC_0774.jpg

富士アイス 200ml瓶です。

富士アイスは、鉄道の駅売りに強みを持っていた
弘済食品が販売していた飲料です。

その前身となる富士アイスクリーム社は
1924年に当時の東京市深川区で当時最新の製造機械を輸入し、
アイスクリームの大量生産を実現した画期的な会社だったようです。
銀座をはじめ、都内でこのアイスクリームを供する喫茶店を複数経営し
当時の文化人のオシャレな溜まり場になっていたのだとか。

ところが戦災の影響で深川の工場や店舗を焼失、
国鉄を母体とする鉄道弘済会と手を組んで
新たに弘済食品として再出発したようです。
手始めにアイスキャンデーを駅で売りはじめたところ大ヒット。
その勢いで、駅売りのアイスクリーム、牛乳、ジュースにも
手を広げていったのだとか。

画像の瓶は、1950年代〜1960年代を中心に
関東地区を中心として駅で売られていたものと思われます。
富士山をスプーンですくっているロゴは、
1934年頃の富士アイスクリーム時代にデザインされたもの。

ジュース事業自体は1970年代には終了したものと思われますが、
弘済食品は国鉄の解体とともに
ジェイアール東日本フードビジネス、
ジェイアール東日本フーズと名を変えながらも
駅弁製造や駅構内のレストラン運営会社として現在も存続しています。

【富士アイス 200ml 千葉県安房郡にて入手】


nice!(0)  コメント(0) 

ミッション 207ml/200ml  1950年代 [マイナー米国ブランド]

MDSC_0766.jpg

ミッション 207ml /200ml 1950年代の瓶です。

ミッションは、アメリカのコッドベバレッジ社が
ミッションコーラを1929年に発売しその歴史がスタートしました。
日本国内においては1952年にミッションコーラ、オレンジ、パインが
発売されたという記録があります。
(一部、1953年という説もあり)

全国に看板が残っていたり、新聞広告展開もしており
当時はそれなりにメジャーなブランドだったと思われます。

その後、1974年に湘南ミッションボトリングが
ミッションブランドの国内販売権を獲得した、という記録がありますが
その時点でかなり勢力は衰えていたと思われます。
ミッションブランド自体は、2000年代初期までは残っていたようで
実際に私も2000年前後に酒屋の店先で見かけた記憶があります。
もっとも晩年は、本来のオレンジジュースやコーラとしてではなく
焼酎の割ものとして、神奈川県を中心として出回っていたようですが。

この画像の瓶は、1952年に発売された当初の瓶で
1960年代中頃まで使われたのではと思われます。
1960年代には新しいデザインの瓶にバトンタッチしています。
参考:ミッション 1960年代〜1970年代の瓶
https://me-young-sitter.blog.ss-blog.jp/2009-12-18


ちなみにこの1950年代の瓶にはいくつかのパターンがあり、
初期のものと思われる瓶はロゴの色が黒っぽく、
ロゴ下の、通常では「MISSION OF CALIFORNIA」となる部分が
「MISSION DRY CORPORATION」となっています。
MDSC_0369.jpg

一方で、1950年代後期の瓶では
それ以降の瓶にも見られるように
「MISSION OF CALIFORNIA」となります。
MDSC_0368.jpg

また、容量表記についても初期の瓶では
瓶底に7オンス(=207ml)のエンボス表記がありますが、
後期の瓶では胴部に200ccのエンボス表記があります。
(もしかしたらオンス表記のものは初期のものではなく
駐留米軍がアメリカから持ち込んだのかもしれません)
MDSC_0371.jpg
MDSC_0370.jpg


1950年代の初期の瓶と後期の瓶を並べてみました。
よく見るとねじったようなデザインの部分の形状も異なります。
MDSC_0372.jpg

背面にはnaturally goodのキャッチコピーが。
MDSC_0767.jpg


【ミッション 207ml/200ml 1950年代 千葉県安房郡にて入手】
nice!(0)  コメント(0) 

キリンジュース 200ml 1953年〜1950年代後半 [キリン]

MDSC_0752.jpg

キリンジュース 200ml 1953年〜1950年代後半の瓶です。

キリンビール社が販売する果汁10%のオレンジジュースとして、
1953年に登場したのがこのキリンジュースです。
この画像の瓶はキリンジュースのACL印刷のロゴが片方にしかなく
反対側は麒麟マークのエンボスが入っているのが特徴です。
1955年の広告にはこの瓶が登場しますが、
1959年の広告では両面ともACL印刷の瓶になっているので
発売当初から5年ほどしか製造されなかったものです。

参考:1950年代後半〜の両面印刷の瓶
https://me-young-sitter.blog.ss-blog.jp/2009-10-27-3

MDSC_0753.jpg
初期瓶の特徴、裏面は麒麟マークのエンボスになっている。

MDSC_0754.jpg
下部の社名もACL印刷ではなくエンボス表記になっている。

バヤリースとともに身近なオレンジジュースとして
長らく親しまれてきたキリンジュースですが、
1968年になると、いわゆる「うそつきジュース問題」が勃発。
ジュースという名称は100%果汁飲料にのみ与えられるべき、とした
消費者団体と清涼飲料水業界が真っ向から対立した問題で、
1972年に清涼飲料水業界が降伏するまでこの争いは続けられました。
現在でも「○○ジュース」という名称は100%果汁飲料のみに認められています。

さて、そんな問題が勃発する前から「ジュース」を名乗っていたキリンジュースですが
果汁はわずか10%だったため、この争いに巻き込まれることを嫌ってか
1970年に早々に「キリンオレンジエード」と名称を変更しました。
そして、1994年には「きりり」となり、現在に至ります。

MDSC_0373.jpg
初期、中期、後期の瓶を並べてみました。
今回ご紹介しているのは左側の初期の瓶。
真ん中の中期の瓶ではロゴ下に「キリンジュース」のカタカナロゴが入り
表裏両面とも印刷ロゴとなります。
右側の瓶では、名称が「キリンオレンジエード」に変更になっています。

【キリンジュース 200ml 1953年〜1950年代後半 千葉県安房郡にて入手】

nice!(0)  コメント(0) 

ニホンコーラ 190ml [その他マイナーブランド]

MDSC_0768.jpg

ニホンコーラ 190ml瓶です。

ニホンコーラは1951年に発売された、
初めての国産コーラ・・・のはずですが、
いかんせん資料がなく、製造会社含め不明です。

当時の新聞広告や看板には
「日本一 うまくて健康になる飲物!アメリカ製原液 純砂糖製」とあります。
当時、コカ・コーラだけはすでに日本国内に入ってきていましたが
あくまで駐留する米軍向けのもの。
コーラの原液も輸入許可が下りておらず、
このニホンコーラはどうやって原液を輸入していたのでしょうか?
コカ・コーラを含め、コーラ飲料が日本に普及するのは
このニホンコーラの発売から10年も経った1961年のことです。

純砂糖製という謳い文句も時代を感じさせます。
低カロリー志向の現代とは真逆の発想です。
終戦直後の物資不足の当時は、現在では使用禁止となっているような
毒性のある安価な人工甘味料が出回っており
砂糖を使用していることは高級の証だったのです。

色々と先駆的だったニホンコーラですが
1950年代の広告しか見かけないことから
コーラに慣れていない当時の日本人にはあまり受け入れられず
1961年の本格的なコーラ飲料の普及を待たずして
ひっそりと消えてしまったものと思われます。

MDSC_0769.jpg
ロゴ部分のエンボスのアップ。
1950年代までの瓶は、ACL印刷ではなくエンボス表現のものが多いです。

【ニホンコーラ 190ml 千葉県安房郡にて入手】

nice!(0)  コメント(0) 

エダギクジュース 200ml [その他マイナーブランド]

MDSC_0799.jpg

エダギクジュース 200ml瓶です。

エダギクジュースは、千葉県館山市にあった
秋山酒造店飲料部の製品です。
「長楽」ブランドの日本酒製造がメインの酒蔵でしたが
現在は酒造業をやめ、酒の小売店となっています。

飲料部がいつ頃まで存在していたのかは不明ですが
この瓶は1960年代のものと思われます。
瓶自体は、この当時多く出回っていた中小メーカー向けの汎用瓶ですが
胴部のエンボスは、時代によって
「Fresh Drink」や「Fresh Drinks」など
いくつかのパターンが確認されています。

MDSC_0800.jpg
ロゴ部分のアップ。

【エダギクジュース 200ml 千葉県安房郡にて入手】
nice!(0)  コメント(0) 

ピープルシー 210ml [その他ビタオレンジ飲料]

MDSC_0848.jpg

ピープルシー 210ml瓶です。

ピープルシーは、赤羽にあった福水社が1950年から製造していた飲料です。
プラッシー等と同じ、ビタミンを配合したオレンジ飲料でしたが
梅味など、他のフレーバーもいくつか存在していたようです。
都内を中心とした首都圏各地に出荷していたようで
東京タワーをはじめとした観光地の土産物店でも見かけたようです。

福水社では「ピープル」ブランドで幅広く商品展開していたようで
以前紹介したハイピープルも同社の製品と思われます。

参考:ハイピープル 210ml瓶
https://me-young-sitter.blog.ss-blog.jp/2010-01-04-2


MDSC_0849.jpg
側面には「ピープルシー(210cc)はビタミンC成人必要量60mgと
ヘスペリジン(ビタミンP)を含みます」
「ピープルシーはビタミンCが強化されていますから
なるべく冷暗所に置いて早くお召上がり下さい」の表記が。

この手の飲料ではよく●●製薬のビタミンを配合・・・等と
表記してあることが多いですが
ヘスペリジンにまで言及しているものは珍しいです。
発売当時のプラッシーもビタミンPに言及していましたが、
後年はその表記は無くなってしまいました。

福水社は、その後社名まで「ピープル」に変更し
神奈川県に工場を設立し、90年代に流行した杜仲茶や健康飲料を
全国に出荷する等、大規模経営に乗り出していたようですが
現在ではその名を見かけません。

【ピープルシー 210ml 千葉県安房郡にて入手】
nice!(0)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。