チェリオ 296ml エンボス瓶 [チェリオ]

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チェリオ 296ml エンボス瓶です。

チェリオは1965年の発売以降
赤と白の2色印刷ロゴの瓶や、赤のみの1色印刷ロゴの瓶を使用してきました。
ところが、その定説を覆すエンボスロゴの瓶が存在していました。

私も山中で発見した時は印刷が剥げたチェリオ瓶か・・と思いましたが
そこにはまさかのエンボスロゴ。
未知の瓶の発見に、非常に驚いてしまいました。
底部には「67」の刻印があることから、1967年製です。

チェリオ本社にも問い合わせをしてみましたが、
チェリオ側にもこのような瓶の製造記録は残っていないとのこと。
担当の方も驚いていらっしゃいました。

そこから推測するに、この瓶が作られた可能性として以下が考えられます。

①試作瓶
 チェリオの国内販売に際し、試作された瓶である可能性。
 試作してはみたものの、ロゴの視認性が良くなく
 最終的には印刷瓶に切り替えて発売された。
 何らかの事情でその試作瓶の一部も市場に出回ってしまった。

②印刷瓶の供給不足による緊急生産瓶
 この瓶が生産された1967年前後は、コカ・コーラの需要が急拡大した時期。
 大量の瓶の発注に対しコカ・コーラの瓶の印刷が間に合わず、
 1964年〜1968年に印刷の必要のないエンボス瓶が緊急生産された。
 その影響でチェリオも印刷瓶が作れず、やむなくコカ・コーラ同様に
 エンボス瓶を緊急生産した。

瓶の製造年が1967年であることから、
①の発売時における試作瓶である可能性は低いですが
この謎の瓶について何かご存知の方がいらっしゃれば、情報をお待ちしております。

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▲ロゴ部分のアップ。

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▲下部には「296ML.入」の表記あり。
 コカ・コーラの同時期のエンボス瓶にも、同様の表記がある。
 「ML」を大文字で表記するのは1967年までは
 どのメーカーでも一般的でしたが、1968年頃より小文字表記が主流に。
 但し、チェリオでは1980年代になっても大文字表記を使う例もありました。

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▲見づらいですが、「67」のエンボスがある。
 エンボスが甘く、見方によっては「57」や「62」にも見えるが
 そもそもチェリオが1965年発売なので、その可能性は薄そう。

【チェリオ 296ml エンボス瓶 神奈川県足柄下郡にて入手】
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チェリオ ワンカップ瓶 [チェリオ]

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チェリオ ワンカップ瓶です。

今回は一風変わった瓶のご紹介です。
お酒のようなワンカップ瓶ですが、そこには確かにチェリオのロゴ。
1970年代〜1980年代頃のものと思われますが
リターナブル瓶や缶の他に、こんな飲料も出していました。

向かって左側の瓶には「オレンジ 果汁50%入り」の表記があり
果汁分の多い飲料や果肉クラッシュ飲料をこのような容器に入れていたようです。
東京地区では、チェリオとカナダドライの販売元が同じだった時期がありました。
カナダドライでも同様のワンカップ入りの果肉クラッシュ飲料を1975年に発売しており
同じものをチェリオブランドでも出したものと思われます。

それまでの重たいリタナーブル瓶よりも軽くコンパクトだったので
登山やハイキングのお供としてよく用いられていたようです。
そのせいか、山で見つかることが多いです。

【チェリオ ワンカップ瓶 神奈川足柄下郡・神奈川県秦野市にて入手】
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チェリオ 200ml 関東地区 [チェリオ]

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チェリオ 200ml 関東地区で流通していた瓶です。

チェリオは一般的な296ml瓶の他に
200ml瓶も製造していましたが、
中京地区と関東地区で瓶のデザインが異なっていました。

今回ご紹介しているのは関東地区の瓶で
山の絵が描いてあります。
1980年代〜1990年代にかけて流通していたようですが
末期は他社に転用されて、炭酸水やサワーの瓶として
出回っていました。

【チェリオ 200ml 関東地区 神奈川県横浜市にて入手】
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キリンオレンジエード 200ml 1970年〜1970年代中頃 [キリン]

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キリンオレンジエード 200ml 1970年〜1970年代中頃の瓶です。

キリンビール社が販売する果汁10%のオレンジジュースとして、
1953年にキリンジュースが発売されました。

ところが1968年になると、いわゆる「うそつきジュース問題」が勃発。
ジュースという名称は100%果汁飲料にのみ与えられるべき、とした
消費者団体と清涼飲料水業界が真っ向から対立した問題で、
1972年に清涼飲料水業界が降伏するまでこの争いは続けられました。
現在でも「○○ジュース」という名称は100%果汁飲料のみに認められています。

さて、そんな問題が勃発する前から「ジュース」を名乗っていたキリンジュースですが
果汁はわずか10%だったため、この争いに巻き込まれることを嫌ってか
1970年に早々に「キリンオレンジエード」と名称を変更しました。
今回ご紹介している瓶がオレンジエードに名称を変更した時のものです。

1970年代中頃には新しいデザインの瓶に移行したため
この瓶はそれほど多く出回らなかったものと思われます。

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キリンジュース時代の瓶との比較。
左から1950年代の発売当初の瓶、中央が1960年代の瓶、
右がオレンジエードに名称が変更になった1970年以降の瓶。

【キリンオレンジエード 200ml 1970年〜1970年代中頃 千葉県安房郡にて入手】

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ダイヤモンド印レモン 200ml 1960年代の瓶 [布引礦泉所]

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ダイヤモンド印レモン 200ml 1960年代の瓶です。

ダイヤモンド印レモンは、現在も「ダイヤレモン」の名で
兵庫県西宮市にある布引礦泉所が生産しているレモン風味の炭酸飲料です。
布引礦泉所は明治32年の創業であり、
炭酸水製造では国内最古の部類に入る歴史あるメーカーです。
兵庫県は古くから鉱泉に恵まれていたようで、
多くの炭酸水メーカーが存在していましたが、その中でも布引礦泉所は大きい部類でした。

今回ご紹介している瓶は1960年代に流通していたと思われる瓶です。
ひとつ前でご紹介した1950年代の瓶と比較し
エンボス加工で表現されていた各種表記が印刷になりました。

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ロゴ部分のアップ。
このデザインは、現在でも布引ダイヤモンドソーダの瓶で見られるものです。

【ダイヤモンド印レモン 200ml 1960年代の瓶 千葉県安房郡にて入手】

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ダイヤモンド印レモン 200ml 1950年代の瓶 [布引礦泉所]

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ダイヤモンド印レモン 200ml 1950年代の瓶です。

ダイヤモンド印レモンは、現在も「ダイヤレモン」の名で
兵庫県西宮市にある布引礦泉所が生産しているレモン風味の炭酸飲料です。
布引礦泉所は明治32年の創業であり、
炭酸水製造では国内最古の部類に入る歴史あるメーカーです。
兵庫県は古くから鉱泉に恵まれていたようで、
多くの炭酸水メーカーが存在していましたが、その中でも布引礦泉所は大きい部類でした。

今回ご紹介している瓶は1950年代に流通していたと思われる瓶です。
まだ印刷瓶が普及する前のフルエンボス瓶で、
これも1950年代の瓶によく見られた特徴です。

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中央部のダイヤモンド印のエンボス。

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下部には6 3/4OZS(6と4分の3オンス=約200ml)のエンボスが。
戦後、一般用よりも進駐軍での需要が大きかったために
アメリカで用いられるオンス表記にしたのかもしれません。
これも1950年代の瓶に見られる特徴の一つです。
オンス表記の右側に、布引の「馬蹄印」のエンボスも見えます。

【ダイヤモンド印レモン 200ml 1950年代の瓶 千葉県安房郡にて入手】

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ダイヤモンド印レモン 戦前の緑瓶 [布引礦泉所]

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ダイヤモンド印レモン 戦前の緑瓶です。

ダイヤモンド印レモンは、現在も「ダイヤレモン」の名で
兵庫県西宮市にある布引礦泉所が生産しているレモン風味の炭酸飲料です。
布引礦泉所は明治32年の創業であり、
炭酸水製造では国内最古の部類に入る歴史あるメーカーです。
兵庫県は古くから鉱泉に恵まれていたようで、
多くの炭酸水メーカーが存在していましたが、その中でも布引礦泉所は大きい部類でした。

今回ご紹介している緑瓶は
大正時代〜戦前まで使われていたものと思われます。

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中央に、「ダイヤモンド印」「登録商標」の文字の他に
現在も使われているダイヤモンドマークのエンボスがあります。

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ネック部分には銀紙を剥がした後が。
ダイヤレモンは現在でも王冠とネック部分に銀紙を被せています。
その伝統は戦前から受け継がれてきたものなのですね。

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下部には布引の「馬蹄印」と呼ばれる、蹄鉄を二つ組み合わせたシンボルマーク。
馬蹄印は「布引タンサン」のシンボルマークとしても使われていました。
底部にもダイヤモンドマークのエンボスがあります。

【ダイヤモンド印レモン 戦前の緑瓶 千葉県安房郡にて入手】
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キンスイ 200ml [その他マイナーブランド]

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キンスイ 200ml瓶です。

ラベルもほとんど禿げてしまっており
由来も何も全くわからない瓶ですが・・
よく見ると、下部には「金水飲料」の表記があります。
数少ない手がかりでしたが、その情報もネット上にはありませんでした。

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ロゴ部分のアップ。

【キンスイ 200ml 千葉県安房郡にて入手】
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ローヤルクラウンコーラ 192ml(6.5オンス) [サントリー]

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ローヤルクラウンコーラ 192ml(6.5オンス)瓶です。

ローヤルクラウンコーラは、
コカ・コーラ、ペプシコーラに次ぐ
世界第3位の売り上げを誇るコーラブランドです。

1934年に米国で販売が開始され
(ローヤルクラウンという商標自体は1905年に
ジンジャーエールの商標としてすでに存在)、
日本では壽屋(現サントリー)が
1961年のコーラ原液の一般向け輸入解禁とともに
販売権を取得し展開を開始しました。

当初、8オンスサイズで販売されましたが
2年後の1963年に壽屋がサントリーに社名を変更するとともに
この6.5オンス(192ml)瓶が登場しました。
ほどなくしてロゴも変更したことから、このタイプは
あまり残存数は多くないものと思われます。

CMに加山雄三を起用したり、全国各地に看板を設置するなど
宣伝にも力を入れましたが、日本国内での販売は思うようにいかず
コカ・コーラやペプシコーラの躍進の陰に隠れて
1972年にサントリーは国内での販売から撤退。

その後、富山のトンボ飲料や北海道の小原商店など
地方の中小メーカーが販売権を取得し
ローカルブランドとして細々と生き延びました。
これらの地域では、それなりにメジャーなコーラとして
人々の記憶に残っているようです。

1989年になると、当時のポッカコーポレーションが
缶コーラとして再び全国区での展開をしますが
これも1996年には再度撤退となり、
その後国内では展開されていません。

【ローヤルクラウンコーラ 192ml(6.5オンス)千葉県安房郡にて入手】
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