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プラッシー210ml 1958年〜1960年代 [武田食品]

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プラッシー 210ml 1958年〜1960年代の瓶です。

プラッシーは、1958年に発売されたオレンジ果汁飲料です。
今回ご紹介する瓶は、その発売当初のもので
両面とも英語表記のロゴになっているのが特徴です。
(それ以降の瓶では片面がカタカナロゴとなる)

下部には、
「プラッシー (210c.c.入)の半量中にはビタミンC1日必要量60mg.のほか
ビタミンPを含んでいます 武田食品工業株式会社」
「強化されているビタミンCとPは温めても冷してもこわれません。
なるべく新鮮なうちにお召し上がり下さい」
との表記があります。
この表記があるのも初期瓶の特徴です。

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ロゴ部分のアップ。両面とも英語表記で、その下に
*Vitamin P+C の表記がある。


戦後、不足していたビタミンCをジュースで補ってもらおうと
製薬会社である武田が開発した飲料で、「プラスC」が語源です。

武田は製薬会社だったため、当時の一般的な販売ルートである
酒屋とのつながりが一切ありませんでした。
そこで他社と差別化を図るべく、米穀店に販路を絞りました。
なぜ米穀店かというと、当時、米は米穀店の店主が宅配をしていることが多く
米の配達時にプラッシーも配達してもらおう、という目論見があったからです。
当時はジュースをケース買いすることが一般的だったため、重いケースは
配達してもらうのが一番だったわけです。
(他社の飲料は酒屋がビールや醤油などと共にケース単位で各家庭に配達をしていました。)

「米屋のジュース」として一躍メジャーになり、
マリンカ(りんご味の炭酸)等も発売されましたが
1980年代、スーパーマーケットの台頭や自動車の普及で米穀店の配達システムが下火になると
プラッシーはすっかり過去の存在となってしまいました。
このとき、リターナブル瓶のプラッシーは姿を消しています。

しかし250ml缶だけは引き続き米穀店や病院(武田ならではです)で販売され続けました。
Wikipediaでは販売中止とありますがこれは誤りで、細々と生産は続けられました。

それが1998年、突如としてリニューアルされて再び息を吹き返します。
ワンウェイ瓶、250ml缶、350ml缶がこのとき発売され
2008年にはペットボトルも登場し、コンビニやスーパーでも見られるようになりました。
販売会社は武田からハウス食品系の会社に変わりましたが
米穀店の店先ではつい最近までその姿が見られました。
ところがそれも長くは続かず、2015年頃に姿を消してしまい
現在では「水分補給ゼリー」のブランドとして細々と生き残っているようです。

なお、基本的にプラッシーの果汁は10%でしたが、50%の物もありました。
またそれ以外にも、つぶつぶオレンジ、トマト、
グレープフルーツスカッシュ、オレンジスカッシュ等のバリエーションがありました。

【プラッシー 210ml 1958年〜1960年代 千葉県安房郡にて入手】

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マリンカ200ml [武田食品]

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マリンカ200mlボトルです。

プラッシーによって米穀店での販路を開拓した武田食品が
1965年に発売したリンゴ果汁入りの炭酸飲料です。
プラッシーと同じく、米穀店で販売されていました。

プラッシーは現在もなお販売されているロングセラー商品となったのに対し、
マリンカは割とすぐに姿を消してしまったようです。
販売期間が短かったためか、空き瓶すら滅多に見つかることはありません。

なお、リンゴ果汁入りの炭酸以外にも
この瓶を用いてレモンスカッシュとして販売されていたこともありました。

【マリンカ200ml 千葉県勝浦市にて入手】

フレッシュ200ml [武田食品]

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フレッシュ200mlボトルです。

プラッシーと同じく、武田食品が米穀店を中心に販売していた飲料です。

色合いからして、レモンスカッシュ系の飲料なのかと思いましたが、
どうやらサイダーだったようです。
(レモンスカッシュは、マリンカブランドから出ていました。)

ちなみに写真の瓶の製造年は1973年です。

【フレッシュ200ml 静岡県沼津市にて入手】


プラッシー500ml [武田食品]

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プラッシー500mlボトルです。

米穀店を中心に販売されていたプラッシーですが、
200mlのほかに500mlのボトルも出ていました。
しかしほとんど流通しなかったせいか、あまり見かけないボトルです。

500mlではオレンジ以外に、つぶつぶオレンジ、パインスカッシュ、
グレープスカッシュやコーヒースカッシュ(!)まで販売されていました。

ちなみに写真の瓶の製造年は1978年です。

【プラッシー500ml 山口県萩市にて入手】


プラッシー210ml 1970年代〜1980年代の瓶 [武田食品]

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プラッシー210ml 1970年代〜1980年代のボトルです。

プラッシーは、1958年に発売されたオレンジ果汁飲料です。
戦後、不足していたビタミンCをジュースで補ってもらおうと
製薬会社である武田が開発した飲料で、「プラスC」が語源です。

武田は製薬会社だったため、当時の一般的な販売ルートである
酒屋とのつながりが一切ありませんでした。
そこで他社と差別化を図るべく、米穀店に販路を絞りました。
なぜ米穀店かというと、当時、米は米穀店の店主が宅配をしていることが多く
米の配達時にプラッシーも配達してもらおう、という目論見があったからです。
当時はジュースをケース買いすることが一般的だったため、重いケースは
配達してもらうのが一番だったわけです。
(他社の飲料は酒屋がビールや醤油などと共にケース単位で各家庭に配達をしていました。)

「米屋のジュース」として一躍メジャーになり、
マリンカ(りんご味の炭酸)等も発売されましたが
1980年代、スーパーマーケットの台頭や自動車の普及で米穀店の配達システムが下火になると
プラッシーはすっかり過去の存在となってしまいました。
このとき、リターナブル瓶のプラッシーは姿を消しています。

しかし250ml缶だけは引き続き米穀店や病院(武田ならではです)で販売され続けました。
Wikipediaでは販売中止とありますがこれは誤りで、細々と生産は続けられていたのです。

それが1998年、突如としてリニューアルされて再び息を吹き返します。
ワンウェイ瓶、250ml缶、350ml缶がこのとき発売され
2008年にはペットボトルも登場し、コンビニやスーパーでも見られるようになりました。
販売会社は武田からハウス食品系の会社に変わりましたが
米穀店の店先には今でも「米屋のジュース」としてプラッシーが売られています。

なお、基本的にプラッシーの果汁は10%でしたが、
50%の物もありました(この画像のようにネックにラベルを巻いています)。
またそれ以外にも、つぶつぶオレンジ、トマト、
グレープフルーツスカッシュ、オレンジスカッシュ等のバリエーションがありました。

ちなみに画像の瓶は後期のもので、
初期の瓶には「プラッシー」のカタカナ表記はありませんでした。

【プラッシー210ml 1970年代〜1980年代 群馬県前橋市にて入手】



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