グラペット 200ml [マイナー米国ブランド]
グラペット 200ml瓶です。
グラペットは、米国のアーカンソー州カムデンという街で
1940年に発売開始されたぶどう味の炭酸飲料です。
姉妹品として、オレンジ味の「オランジェット」、
レモン味の「レモネット」も存在していたようです。
その後、盛衰を繰り返しながら2000年まで存続していたものの
現在では買収され終売となっているようです。
日本国内では1950年代に販売が開始されたものと思われます。
本土では岸野飲料が、沖縄では合資会社グラペットが
米国本社より販売権を得て展開をしていたようです。
その後、1960年代には早くも姿を消しているようです。
競合するファンタに負けてしまったのでしょうか。
ロゴのアップ。この瓶では消えてしまっているが、
本来はロゴ周りに赤い輪の絵柄があったものと思われる。
「Thirsty or Not」というキャッチコピー。直訳すると
「喉が渇いているかどうか」。
意訳すると「君の喉は渇いていないか?」といったところか。
裏面には何やら細かい能書きがたくさん・・・
下部には岸野飲料の表記も見られる。つまりこれは本土で出回っていた瓶。
沖縄で出回っていた瓶は、そもそも形状が異なる模様。
【グラペット 200ml 千葉県安房郡にて入手】
ミッション 207ml/200ml 1950年代 [マイナー米国ブランド]
ミッション 207ml /200ml 1950年代の瓶です。
ミッションは、アメリカのコッドベバレッジ社が
ミッションコーラを1929年に発売しその歴史がスタートしました。
日本国内においては1952年にミッションコーラ、オレンジ、パインが
発売されたという記録があります。
(一部、1953年という説もあり)
全国に看板が残っていたり、新聞広告展開もしており
当時はそれなりにメジャーなブランドだったと思われます。
その後、1974年に湘南ミッションボトリングが
ミッションブランドの国内販売権を獲得した、という記録がありますが
その時点でかなり勢力は衰えていたと思われます。
ミッションブランド自体は、2000年代初期までは残っていたようで
実際に私も2000年前後に酒屋の店先で見かけた記憶があります。
もっとも晩年は、本来のオレンジジュースやコーラとしてではなく
焼酎の割ものとして、神奈川県を中心として出回っていたようですが。
この画像の瓶は、1952年に発売された当初の瓶で
1960年代中頃まで使われたのではと思われます。
1960年代には新しいデザインの瓶にバトンタッチしています。
参考:ミッション 1960年代〜1970年代の瓶
https://me-young-sitter.blog.ss-blog.jp/2009-12-18
ちなみにこの1950年代の瓶にはいくつかのパターンがあり、
初期のものと思われる瓶はロゴの色が黒っぽく、
ロゴ下の、通常では「MISSION OF CALIFORNIA」となる部分が
「MISSION DRY CORPORATION」となっています。
一方で、1950年代後期の瓶では
それ以降の瓶にも見られるように
「MISSION OF CALIFORNIA」となります。
また、容量表記についても初期の瓶では
瓶底に7オンス(=207ml)のエンボス表記がありますが、
後期の瓶では胴部に200ccのエンボス表記があります。
(もしかしたらオンス表記のものは初期のものではなく
駐留米軍がアメリカから持ち込んだのかもしれません)
1950年代の初期の瓶と後期の瓶を並べてみました。
よく見るとねじったようなデザインの部分の形状も異なります。
背面にはnaturally goodのキャッチコピーが。
【ミッション 207ml/200ml 1950年代 千葉県安房郡にて入手】
バブルアップ 237ml [マイナー米国ブランド]
バブルアップ 237ml瓶です。
バブルアップは米国で1921年より製造されている
セブンアップやスプライトのような透明炭酸飲料です。
沖縄ではコカ・コーラ、和歌山では阪井飲料工業、
広島では宝積飲料、千葉ではバブルアップボトリング千葉・・
といった具合に、国内では複数のメーカーが
1960年代前半〜1970年代にかけて
米国の本社より販売権を取得し展開していました。
東京地区では1963年に日本クラリー金銭登録機株式会社が
東京バブルアップ社を設立し、1964年より販売を開始したようですが
なぜレジスターの会社が参入しようとしたのでしょうか。
大資本のコカ・コーラが展開していた沖縄では
「レモン・ライムのキッス」というキャッチコピーとともに
比較的多く出回っていたようですが、
バブルアップボトリング千葉でも
「アメリカで生まれた世界の飲物!」のキャッチコピーで
県内に看板を設置するなどして
当時はそこそこの出荷量を誇っていたものと思われます。
(今回ご紹介している瓶はバブルアップボトリング千葉のもの)
上部ロゴ部分のアップ。
底部には1963年製造の刻印。
セブンアップやミリンダレモンライムがライバルだったようですが
1971年のスプライトの発売開始により、勢力を急速に弱めていったようです。
特に沖縄はコカ・コーラ社からの発売だったこともあり
スプライトの登場で完全に重複してしまうため
発売中止にせざるを得ませんでした。
ちなみにバブルアップボトリング千葉からは
ヒットやオーソ等のブランドも出ていました。
特にオーソは、他のメーカーでもバブルアップとセットで
販売されることが多かったようです。
参考:オーソ 237ml瓶
https://me-young-sitter.blog.ss-blog.jp/2021-01-24
参考:ヒット 237ml瓶
https://me-young-sitter.blog.ss-blog.jp/2021-01-03-3
【バブルアップ 237ml瓶 千葉県安房郡にて入手】
オーソ 237ml [マイナー米国ブランド]
オーソ 237ml瓶です。
オーソは、バブルアップボトリング千葉をはじめ
福岡の菊水飲料、和歌山の阪井飲料工業など、
全国の複数メーカーで製造されていた統一ブランドで
グレープやオレンジ、メロン等のフレーバー炭酸飲料でした。
1960年代後半から出回り、一部のメーカーでは1990年代に至るまで
生産が続けられていたようです。
オーソ(O-so)とは、O-so Good!の略で
「とってもいいね!」という意味です。
元々は1946年にシカゴで創業した
Ocra beverage produces社のブランドですが、
日本では透明炭酸飲料のバブルアップを扱うメーカーが販売権を得て、
バブルアップとセットで販売することが多かったようです。
【参考:バブルアップ 237ml瓶】
https://me-young-sitter.blog.ss-blog.jp/2021-01-26-1
今回ご紹介している瓶はバブルアップボトリング千葉が
千葉県内を中心に販売していたものですが、
気になるのは以前ご紹介したヒットとの関係性。
【参考:ヒット 237ml】
https://me-young-sitter.blog.ss-blog.jp/2021-01-03-3
ヒットも同じくバブルアップボトリング千葉の製品ですが
オーソと瓶の形やデザインがまったく同じ。
ヒットは1966年頃より販売を開始したものの、
1年間だけの短命に終わっているようです。
恐らく、翌年の1967年にバブルアップ千葉が
このオーソの国内販売権を取得したことで
それを境にヒットの製造を1年で辞めてしまい
1967年以降はヒットの瓶のデザインをそのまま流用した
オーソの製造を開始したと考えられます。
この瓶を拾った場所ではヒットとオーソの瓶が大量に出てきますが
ヒットは1966年銘のみ存在、オーソが1967年以降とはっきり分かれているため
上記の推測はほぼ正しいものと思われます。
237mlという中途半端な容量ですが、
米国の容量単位「オンス」に由来するもので、約8オンスとなります。
【オーソ 237ml 千葉県安房郡にて入手】
ミッション 200ml 1980年代〜1990年代? [マイナー米国ブランド]
ミッション 200ml 1960年代〜1970年代? [マイナー米国ブランド]
ミッション 200ml 1960年代〜1970年代?のボトルです。
ミッションはアメリカのブランドで、
日本国内においては1953年にミッションコーラが発売されたという記録があります。
その後、1974年に湘南ミッションボトリングが
ミッションブランドの国内販売権を獲得した、という記録がありますが
それ以外の情報が皆無で、詳しいことが全くわかりません。
しかし、全国に看板が存在していることから
当時はそれなりにメジャーなブランドだったのかもしれません。
この瓶は、恐らくミッションジュースとしてオレンジ果汁飲料が充填され
1970年代〜1980年代にかけて流通していたものと思われます。
ミッションブランド自体は、1990年代まで存在していたようです。
実際に私も2000年前後にとある酒屋の店先で見かけた記憶があるので・・・。
あくまで記憶の中での話、ですが。
【ミッション 200ml 1960年代〜1970年代? 静岡県沼津市にて入手】