ファンタ 200ml 1958年 発売当初の瓶(初代) [ファンタ]
ファンタ 200ml 1958年の発売当初(初代)の瓶です。
東京コカ・コーラボトリングの前身となる東京飲料は、
戦後の駐留米軍向けにコカ・コーラを製造していた
エクスポートコーポレーションの許可をもらい
1957年よりコーラの製造を開始しました。
ところがコーラの原液輸入が政治的事情でまだ難しく、
コーラを知らない庶民にまで馴染むほど流通もできなかったことから
コカ・コーラの販売は不振を極めていました。
その打開策として、1958年に製造を開始したのがファンタです。
ファンタであれば原液輸入規制の影響を受けることなく
自由に製造ができたわけです。
庶民にとっては、馴染みのない真っ黒な謎のコーラとやらよりも
グレープとオレンジのフレーバーのファンタはすぐに受け入れられ
窮地にあった東京飲料を救うことになりました。
ファンタの存在なくして、今のコカ・コーラ社はなかったわけです。
今回紹介する瓶は、その発売当初の1958年の瓶。
1960年代以降の瓶は比較的よく見つかりますが
この初代の瓶となると、めったに見つかることはなく
様々な書籍やネット上でも見かけることはありません。
ロゴ部分のアップ。
まだカタカナロゴの商標の登録が済まないうちに発売したからか
1960年代以降の瓶では「登録商標」となっている部分が
「商標」のみの記載となっています。
英文字ロゴはすでに米国で商標登録が済んでいたため
「登録商標」の記載になっています。
また、登録商標権者として「エクスポートコーポレーション指定製品」
との表記も見られます。
コカ・コーラ社製品でエクスポートコーポレーションの名前が
印字されているのはこの瓶だけではないでしょうか。
また、全体的に細かなザラザラとしたエンボス加工があり
60年代以降の瓶とはそもそも形状が異なることがわかります。
この瓶の残存数が極端に少ない理由として、
・瓶の形状が異なるので1960年代以降はラインから弾かれた
・カタカナロゴの商標登録が完了したことで、
「商標」だけの表記では辻褄が合わなくなった
・一般的な酒屋を通して販売する形態をとらなかったため、
酒屋での古瓶の滞留が発生せずすぐにメーカー側に回収された
などの理由が考えられます。
瓶の底には1958年製造の刻印。
瓶の底に年号の刻印があるのはこの初代の瓶と、
1963年〜1967年製造の2代目瓶の一部のみ。
2代目瓶の途中から、現在に至るまで
瓶の胴部に年号が刻印されるようになる。
1960年代以降(2代目、3代目、4代目)の瓶と並べてみました。
左から1958年、1966年、1968年、1971年。
よく見ると全て表記が異なりますが
1958年の瓶だけ特に異なっているのがわかると思います。
【ファンタ 200ml 1958年 発売当初の瓶(初代)】
スワローズ 200ml [その他マイナーブランド]
スワローズ 200ml瓶です。
下部に「日本清涼飲料」という表記があり、
おそらくこれがメーカー名だと思われます。
さらに「鉄道指定品」のエンボスがあることから
当時の国鉄の駅で売られていたのでしょう。
スワローといえばまさに国鉄のシンボル。
戦前の特急「燕」号は、東海道本線のフラッグシップとして
最高の設備と最速のスピードを誇りました。
その先頭に立つ蒸気機関車には燕のマークが取り付けられ
他の特急とは別格の扱いをされていました。
今でも国鉄の後を引き継いだJRのバスに、
燕のマークが描かれているのはそのためです。
プロ野球のヤクルトスワローズも、元は国鉄の球団だったので
燕をモチーフとしていました。
だいぶ話が逸れましたが、国鉄といえば燕。
このジュースも、国鉄の駅での販売承認を得るために
スワローズという名前にして忖度したのでしょうか。
あるいは、スワローズという名前だったからこそ
販売承認を得ることができたのでしょうか?
エンボス部分のアップ。
ACL印刷のないエンボスのみの瓶であることから、
1950年代のものと思われます。
【スワローズ 200ml 千葉県安房郡にて入手】
金線サイダー 英語表記 透明瓶 [戦前の瓶(メジャーブランド以外)]
金線サイダー 英語表記 透明瓶です。
金線サイダーの発売の経緯については、一つ前の記事を参照ください。
参考:金線サイダー 漢字表記 緑瓶
https://me-young-sitter.blog.ss-blog.jp/2021-05-15-1
今回紹介する英語表記の透明瓶は、前回紹介した漢字表記と異なり
瓶が透明になり、エンボスも「KINSEN」の英語表記となりました。
漢字表記の瓶が明治時代のものならば、
この英語表記の瓶は大正時代以降の瓶であると思われます。
「KINSEN」の英語表記のアップ。
今回は2本紹介していますが、下部の社名表記が異なります。
一つは「金線飲料」、もう一つは「日本麦酒礦泉」の表記。
金線飲料の設立が大正4年(1915年)、
日本麦酒礦泉が金線飲料を買収したのが大正14年(1925年)なので
「金線飲料」表記のものが大正4年〜大正14年までの瓶、
「日本麦酒礦泉」表記のものが大正14年〜昭和8年の瓶と思われます。
(日本麦酒礦泉は昭和8年に大日本麦酒礦泉に吸収合併)
日本麦酒礦泉は三ツ矢サイダーブランドをすでに持っており
金線サイダーもしばらくは併売されていたようですが
ブランド乱立の解消のため三ツ矢サイダーに統一されました。
日本のサイダーの黎明期を代表するブランドでしたが
その最後はなんともあっけないものでした。
「金線飲料」のエンボス。
瓶の底の作りもかなり分厚く、製瓶技術がまだ未熟だったことの証左。
「日本麦酒礦泉」のエンボス。
製瓶技術もだいぶ進歩した??
【金線サイダー 英語表記 透明瓶 千葉県富津市にて入手】
金線サイダー 漢字表記 緑瓶 [戦前の瓶(メジャーブランド以外)]
金線サイダー 漢字表記 緑瓶です。
金線サイダーは日本のサイダーの黎明期より存在するブランドで
明治38年(1905年)に横浜の秋元巳之助氏によって発売されました。
明治20年よりブランド自体はあったようですが
王冠を使用して本格的に展開したのが明治38年のようです。
三ツ矢サイダーの発売も同じ頃ですから
まさにサイダーの草創期を支えたブランドでした。
発売の経緯については諸説あり、
当時すでにラムネ瓶は流通していたものの、
瓶の構造が複雑であるがゆえに、高価で回収にも苦労した。
そこで王冠で打栓する方法であれば、より安価にラムネを流通できるとして
これを秋元氏が金線サイダーとして売り出したというもの。
もう一つは、秋元氏がサイダーの製造機械を居留地の外国人より譲り受け
一般庶民の嗜好に合うように十数年の研究を重ね
ようやく金線サイダーとして発売するに至った、というもの。
今となってはどちらが正しいのかはわかりませんが
秋元氏の並々ならぬ努力の跡がうかがえます。
金線サイダーの瓶にはいくつかの種類があり、
今回紹介するのは漢字で「金線」のエンボスが
ネック部分にある緑瓶。
この他に、英文字で「KINSEN」のエンボスのある透明瓶が存在します。
参照:金線サイダー 英文字表記 透明瓶
https://me-young-sitter.blog.ss-blog.jp/2021-05-15-2
英文字の透明瓶よりは、この漢字表記瓶の方が古いと思われます。
英文字の透明瓶には大正4年に設立された金線飲料のエンボスがあるので
今回ご紹介した漢字表記の緑瓶はそれ以前の
明治時代〜大正時代初期のものでしょうか。
「金線」のエンボス部のアップ。
【金線サイダー 漢字表記 緑瓶 千葉県安房郡にて入手】
三ツ矢サイダー 180ml 1950〜1960年代 [アサヒ]
三ツ矢サイダー 180ml 1950〜1960年代の瓶です。
三ツ矢サイダーの瓶の容量は現在は200mlですが
明治時代の発売以来、平成初期に至るまで340mlサイズが主流でした。
もともとは340ml瓶に入ったサイダーを、
コップに注いで家族で分け合って飲むスタイルだったのが
一人一本、個人で飲むスタイルに変化し
200ml瓶が登場したのは1970年になってからのこと。
参考:三ツ矢サイダー200ml 1970年代初頭
https://me-young-sitter.blog.ss-blog.jp/2018-05-05
上記で紹介している瓶や、1970年に発売された
「三ツ矢サイダーシルバー」が小瓶の元祖と思われていたのですが
どうやら1950年代にも、小瓶が出回っていたようです。
今回紹介する瓶がそれで、
アサヒ飲料の公式資料にも登場しない謎の瓶。
1950年代の瓶が出土する場所から掘り出したことから
年代はほぼ間違いないものと思われます。
ネック部には、1950年代の340ml瓶同様に三ツ矢のシンボルマークが。
胴部の下には「MITSUYA」の英文字エンボス。
これは他の三ツ矢サイダー瓶には見られない特徴です。
【三ツ矢サイダー 180ml 1950年代〜1960年代 千葉県安房郡にて入手】