ペプシコーラ 192ml 1964年後半〜1965年前半 [ペプシコーラ]
ペプシコーラ192ml 1964年後半〜1965年前半の瓶です。
この瓶より、それまでの瓶に比べてデザインが大きく変更になりました。
1964年から製造されているようですが
1964年銘の瓶はほとんどが古いデザインのものばかりのため
この新デザイン瓶は1964年の暮れから製造されたと推測されます。
ただし、翌年の1965年には早くも次のデザインの瓶が登場するため
1964年暮れ〜1965年初頭の、ごくわずかな間にしか
作られなかった、非常に珍しい瓶ということになります。
ちなみに画像の瓶は1965年の製造です。
1965年後半以降の瓶との比較(左が今回ご紹介している1964年後半〜1965年前半の瓶)。
左のほうがわずかにフォントが太く、TRADEMARK REGD.の表記がある。
白丸の下に小さく書かれた容量表記も192ML.と大文字です。
こちらはカタカナロゴ側。
「登録商標」の文字はまだなく、フォントも扁平な独特なもの。
これが1965年後半以降の瓶ではこうなる。
このデザインの瓶でよく見られる「登録商標」の表記が追加になり
フォントも縦に長くなった。
(プリントが綺麗なものもあるのですが、保管場所が遠く
このコロナ下で取りに行けず、汚いもので申し訳ありません・・・)
ちょうどこの瓶が登場した頃、1964年の11月に
473mlファミリーサイズの瓶が発売されています。
ところが、翌1965年にはコカ・コーラに対抗して
500mlに瓶を作り直していることから、
そのタイミングに合わせてこの192mlの瓶のデザインも変わったのだろうと推測されます。
(今回ご紹介した瓶が製造されたのは
473mlファミリーサイズ瓶が製造された時期と一致)
【ペプシコーラ 192ml 1964年後半〜1965年前半 埼玉県秩父市にて入手】
コカ・コーラ500ml 1964年〜1965年(ホームサイズ初代) [コカ・コーラ]
コカ・コーラ500ml 1964年〜1965年(ホームサイズ初代)の瓶です。
それまでの瓶は、190mlと容量が少なく約コップ1杯の量しかありませんでした。
そこで1964年に登場したのが500mlの大型瓶です。
1964年11月にまずペプシコーラがファミリーサイズと称して
473mlサイズを発売し、大瓶戦略に打って出ました。
そのわずか1ヶ月後の1964年12月に
コカ・コーラはホームサイズと称して500mlサイズで発売。
慌てたペプシコーラはすぐにコカ・コーラと同じ500mlサイズに瓶を作り直し
巻き返しを図ろうとしましたが、時すでに遅しで
大瓶戦略はコカ・コーラに軍配が上がりました。
なおこの際、そもそもコカ社やペプシ社等の
外資系飲料の急激なシェア獲得に反対していた国内の飲料メーカー各社は
ある一定の条件の下で
コカ社とペプシ社の参入を認めていましたが、
この大瓶戦略の話は寝耳に水だったようで
大きな議論を巻き起こしました。
胴部にある64年製造の刻印。
この初代瓶は1964年および1965年のごく初期にしか製造されず
「ホームサイズ」の表記はまだなく、表裏ともにこの「500ML.」表記である。
1965年途中より、「500ML.」「ホームサイズ」の併記となった。
▲1965年途中より登場した「ホームサイズ」の表記。
2代目前期と呼ばれている瓶である。
ちなみにこれは1965年製造の瓶のもの。
▲1968年頃より、容量表記が小文字の「ml」になる。
2代目後期と呼ばれている瓶である。
この瓶は1971年製の刻印あり。
ところが1970年頃、この瓶の破裂による事故が多発し、大きな問題になっていました。
そこで一時的な対策として、この瓶を透明なフィルムで覆い、
万が一破裂しても破片が飛び散らないようにする対策が施されました。
このようなフィルムによる保護は、1972年に破瓶問題をクリアした
新しい規格の瓶(3代目)が登場するまで続けられたのでした。
【コカ・コーラ500ml 1964年〜1965年(ホームサイズ初代) 埼玉県秩父市にて入手】
ゴールドハニー 200ml [その他マイナーブランド]
ゴールド 200ml [その他マイナーブランド]
ゴールド 200ml瓶です。
ゴールドは、八王子市にあった
ゴールド飲料商事が製造していた飲料です。
昭和50年代までは製造が続けられ、
会社自体もラムネのメーカーとして近年まで存続していたようですが
Google Mapで確認する限りでは、その場所は現在は住宅になってしまっています。
八王子市を中心に出荷していたと思われ、
観光客の集まる高尾山周辺では
ハイキングのお供としてよく飲まれていたようです。
姉妹品に「ゴールドハニー」という製品もありましたが
ともにどんな飲料だったのかは不明です。
参考:ゴールドハニー
https://me-young-sitter.blog.ss-blog.jp/2021-08-07-1
この瓶の大きな特徴は、ロゴ部分が印刷ではなく
シール貼りになっていること。
ただしこれはコストを抑えるために末期の瓶のみに見られた措置だったようで
もともとはきちんとしたプリント瓶でした。
本来はこのようにきちんと印刷されている。
(背面が大きく割れていたので拾っては来ませんでした・・・)
【ゴールド 200ml 東京都八王子市にて入手】
コカ・コーラ190ml 1965年頃〜1967年 ML表記大文字(6代目後期) [コカ・コーラ]
コカ・コーラ 190ml 1965年頃〜1967年 ML表記大文字(6代目後期)瓶です。
1965年の途中まで、コカ・コーラの瓶は
ロゴ下の「登録商標」「TRADE MARK REGISTERD」と
胴部の「190ML.入」の表記はエンボス仕様となっていました。
1965年の後半になってから製造されたのが
今回ご紹介するオールプリント瓶(いわゆる6代目後期瓶)で、
それまでエンボス表記だった上記の3表記は白色プリントとなり
全てロゴ下にまとめられました。
容量表記だけはまだ「190ML.入」という大文字表記で
1968年頃より「190ml」のような小文字表記が登場します。
(ファンタも同時期に大文字から小文字に表記変更になっている)
参照:ファンタの容量表記の変遷
https://me-young-sitter.blog.ss-blog.jp/2020-08-23
なお、この瓶が製造されていた前後の1964年〜1968年頃は
コカ・コーラの出荷数が大幅に伸びた時期で
瓶の製造が追いつかなかったためか、
下記のように様々なタイプの瓶が入り乱れて製造されていました。
・プリント+エンボス瓶(4代目瓶 〜1965年)
・カタカナエンボス ML大文字表記瓶(5代目前期瓶 1964年〜1967年)
・オールプリント ML大文字表記瓶(6代目後期瓶 1965年〜1967年頃)
・カタカナエンボス ml小文字表記瓶(5代目後期瓶 1968年)
・オールプリント ml小文字表記瓶(7代目瓶 1968年〜)
これ以外にも、透明瓶が製造されたり
6代目前期瓶と呼ばれる英語表記が異なるものが製造されたり・・・と
細かく分類しようとするとかなり混迷を極めます。
ロゴ部分のアップ。1967年まではML.入表記が大文字である。
【コカ・コーラ 190ml 1965年〜1967年 ML表記大文字(6代目後期) 千葉県安房郡にて入手】
プラッシー210ml 1958年〜1960年代 [武田食品]
プラッシー 210ml 1958年〜1960年代の瓶です。
プラッシーは、1958年に発売されたオレンジ果汁飲料です。
今回ご紹介する瓶は、その発売当初のもので
両面とも英語表記のロゴになっているのが特徴です。
(それ以降の瓶では片面がカタカナロゴとなる)
下部には、
「プラッシー (210c.c.入)の半量中にはビタミンC1日必要量60mg.のほか
ビタミンPを含んでいます 武田食品工業株式会社」
「強化されているビタミンCとPは温めても冷してもこわれません。
なるべく新鮮なうちにお召し上がり下さい」
との表記があります。
この表記があるのも初期瓶の特徴です。
ロゴ部分のアップ。両面とも英語表記で、その下に
*Vitamin P+C の表記がある。
戦後、不足していたビタミンCをジュースで補ってもらおうと
製薬会社である武田が開発した飲料で、「プラスC」が語源です。
武田は製薬会社だったため、当時の一般的な販売ルートである
酒屋とのつながりが一切ありませんでした。
そこで他社と差別化を図るべく、米穀店に販路を絞りました。
なぜ米穀店かというと、当時、米は米穀店の店主が宅配をしていることが多く
米の配達時にプラッシーも配達してもらおう、という目論見があったからです。
当時はジュースをケース買いすることが一般的だったため、重いケースは
配達してもらうのが一番だったわけです。
(他社の飲料は酒屋がビールや醤油などと共にケース単位で各家庭に配達をしていました。)
「米屋のジュース」として一躍メジャーになり、
マリンカ(りんご味の炭酸)等も発売されましたが
1980年代、スーパーマーケットの台頭や自動車の普及で米穀店の配達システムが下火になると
プラッシーはすっかり過去の存在となってしまいました。
このとき、リターナブル瓶のプラッシーは姿を消しています。
しかし250ml缶だけは引き続き米穀店や病院(武田ならではです)で販売され続けました。
Wikipediaでは販売中止とありますがこれは誤りで、細々と生産は続けられました。
それが1998年、突如としてリニューアルされて再び息を吹き返します。
ワンウェイ瓶、250ml缶、350ml缶がこのとき発売され
2008年にはペットボトルも登場し、コンビニやスーパーでも見られるようになりました。
販売会社は武田からハウス食品系の会社に変わりましたが
米穀店の店先ではつい最近までその姿が見られました。
ところがそれも長くは続かず、2015年頃に姿を消してしまい
現在では「水分補給ゼリー」のブランドとして細々と生き残っているようです。
なお、基本的にプラッシーの果汁は10%でしたが、50%の物もありました。
またそれ以外にも、つぶつぶオレンジ、トマト、
グレープフルーツスカッシュ、オレンジスカッシュ等のバリエーションがありました。
【プラッシー 210ml 1958年〜1960年代 千葉県安房郡にて入手】
グリコ パモナ濃縮ジュース [その他メジャーブランド]
グリコ パモナ濃縮ジュースの瓶です。
パモナは、1959年にグリコより発売された飲料で
ナチュラルオレンジ、オレンジ、サワードの3種類のフレーバーがあったようです。
ナチュラルオレンジが一般的なオレンジジュースで、
サワードが乳性飲料。
オレンジは、ナチュラルオレンジとサワードのミックスだったようです。
当時としては珍しかった缶入りで発売され、
上部についたポリキャップをめくると、缶切り(当時はプルトップがまだなかった)と
丸まったストローが出てくるという、画期的な商品でした。
しかし、そう長くは続かなかったようで
1960年代のうちに姿を消しています。
その後は、1980年代にアイスの商品名として復活するものの
こちらも長続きはしませんでした。
さて、本日ご紹介しているのは缶ではなく瓶。
どうやら濃縮タイプは瓶で売られていたようで
こちらはオレンジ・パイン・アップルの3種類のフレーバーが
あり、1本300円という価格だったようです。
1961年にはCMも放映されていました。
ただ気になるのは、そのCMで使われていた瓶の形状とは
形が異なっていることです。
CMでは、もっと寸胴な形状の瓶が使われており
今回ご紹介したロケット型のものとは全く異なるものでした。
見づらいですが、下部には「GLICO's POMONA」のエンボスがある。
【グリコ パモナ濃縮ジュース 千葉県安房郡にて入手】