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タカラサイダー 340ml 1950年代〜1960年代 [地サイダー]

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タカラサイダー 340ml 1950年代〜1960年代の瓶です。

ひとつ前の記事で紹介したタカラサイダーの戦後になってからの瓶です。

参考:明治〜大正期のタカラサイダーの瓶
https://me-young-sitter.blog.ss-blog.jp/2022-02-13

同時期のサイダーの代表格、三ツ矢サイダーやリボンシトロンと同じ規格で作られた瓶で、三ツ矢が緑がかった瓶、リボンシトロンが透明の瓶が多かったのに対しタカラサイダーは青みがかった瓶を採用していました。

当時の中小のサイダーメーカーは三ツ矢サイダーの瓶を勝手に流用し自社のラベルを上から貼り付けて使用していましたがタカラサイダーはそのようなことはせずオリジナルの瓶で勝負をしていました。
その証として、しっかりと「タカラサイダー」のエンボスがあります。
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戦前は宝塚鉱泉、後に宝鉱泉という会社が製造をしていましたが、戦後になってからはみりんや宝焼酎、Kanチューハイで有名な京都の宝酒造がそのブランドを引き取った可能性があります。
確証は持てませんが、宝酒造が当時製造していたタカラビールとこのタカラサイダーを併記した看板や栓抜きなどがあることからその可能性が高いと思われます。
タカラビールの終売は1967年、ライバルのアサヒビールに敵視されたことが原因のようですが、タカラサイダーも同様にその頃なくなったのでしょうか。

ちなみのこの瓶は、一部が三ツ矢サイダー瓶と同様に中小メーカーに流れて再利用されました。厳密に言うと三ツ矢サイダー瓶とは少し規格が異なるのですが、なんとか同一の製造ラインに乗ることができたようです。今でも中小のサイダーメーカーをくまなく探せば、三ツ矢サイダー瓶に混ざってこの瓶が現役で活躍しているかもしれません。

【タカラサイダー 340ml 1950年代〜1960年代 千葉県安房郡にて入手】
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三ツ扇サイダー 340ml リターナブル瓶 [地サイダー]

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三ツ扇サイダー 340ml リターナブル瓶です。

三ツ扇サイダーは、大阪府柏原市の寿屋清涼食品が販売している地サイダーです。
かつて、全国の中小サイダーメーカーは三ツ矢サイダーの人気にあやかって
それに似た名前やマークのサイダーを数多く出していました。
(三ツ葉サイダー、三ツ菱サイダー等。いずれも過去記事にて紹介済)
この三ツ扇サイダーもその一つです。

かつては関西地方を中心に多く出回っており、
このリターナブル瓶も2000年頃までは見かけたものですが、
今では復刻版のワンウェイびんタイプのもののみが製造されているようです。
こちらはショッピングモール等に入っている駄菓子屋や
大阪の物産を扱うアンテナショップでも見かけることがあります。

ちなみに、今回紹介しているリターナブル瓶タイプのものは
三ツ矢サイダーを模したデザインとなっていますが、
地サイダーによくある、ラベルを貼る初期タイプのデザインではなく
1972年に登場した後期タイプの瓶のデザインを模しているのが特徴です。
あまりこの後期瓶を模したデザインは、他では見かけません。


【参照】三扇サイダー 340ml ワンウェイ瓶
https://me-young-sitter.blog.so-net.ne.jp/2010-06-02

【参照】三ツ矢サイダー 340ml 1972年〜
https://me-young-sitter.blog.so-net.ne.jp/2010-05-22-2

【三ツ扇サイダー 340ml リターナブル瓶 佐賀県唐津市にて入手】
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ミヤタシトロン 340ml [地サイダー]

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ミヤタシトロン 340ml瓶です。

ミヤタシトロンは、福岡県宮田町(現宮若市)に存在した
村上飲料工業所の製品です。

いわゆる地元周辺のごく限られた地域で消費された「地サイダー」ですが
その多くが三ツ矢サイダーを模していたのに対し、
一部には三ツ矢サイダーと双璧を成していたキリンレモンを
模したものも存在していました。
このミヤタシトロンもそのひとつです。

三ツ矢サイダーを模したものは、
三ツ矢サイダーの瓶をそのまま流用し
ラベルを貼り替えていただけの簡素なものなので
多くの零細地サイダーメーカーが採用していましたが
このミヤタシトロンをはじめとしてキリンレモンを模したものは
デザインこそ似ているものの、ちゃんと自社発注瓶となっています。

【ミヤタシトロン 340ml 佐賀県唐津市にて入手】
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キンセンサイダー 340ml 緑瓶 [地サイダー]

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キンセンサイダー 340ml 緑瓶です。

キンセンサイダーは唐津市の小松飲料が生産している地サイダーで
漢字で書くと「金扇サイダー」です。

以前、三ツ矢サイダーの瓶を流用したタイプも紹介しましたが
こちらはオリジナルの瓶のようです。
(参照:キンセンサイダー 三ツ矢サイダー流用瓶
 https://me-young-sitter.blog.so-net.ne.jp/2010-05-24-4

現在でもキンセンサイダーの生産は続けられていますが
これらのリターナブルびんではなく
もっぱらワンウェイびんが主流のようです。

かつては近所の酒屋や商店でケース単位で購入し
空瓶+ケースを回収する仕組みがありましたが
自販機やスーパーでの流通が主流の現在では
リターナブルびんの存続はなかなか難しいものがあります。
流通経路が変わってもなお生産が続いているだけでも
ありがたいことなのでしょう。

【キンセンサイダー 340ml 緑瓶 佐賀県唐津市にて入手】
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メトロサイダー 340ml [地サイダー]

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メトロサイダー 340ml瓶です。

これも地サイダーでよくある、
三ツ矢サイダーの瓶を再利用し
自ブランドのロゴを再プリントしたものです。

「メトロ」ブランドは博多の菊水飲料が作っていたという情報もありますが
このメトロサイダーもそこの製品でしょうか。
あるいは統一ブランドとして、九州地区の複数メーカーで製造されていたのでしょうか?


【メトロサイダー 340ml 佐賀県唐津市にて入手】
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シラウメサイダー 340ml [地サイダー]

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シラウメサイダー 340ml瓶です。

地サイダーによくある、
三ツ矢サイダーの瓶を流用したものです。
三ツ矢サイダーの紙ラベルだけ貼り直すものが多いですが、
九州の地サイダーメーカーは、ラベルではなく再印刷することが多いようです。
このシラウメサイダーもそのひとつです。

吉田飲料という会社の製品ですが、それ以外の情報は不明です。
佐賀県伊万里市に同名の企業があるようですが
そこの製品でしょうか。

太宰府天満宮に、京都から左遷された菅原道真公を追って
飛んできたと言われる「飛梅伝説」の梅の木は白梅ですが
もしかしたらそれが由来なのかもしれません。


【シラウメサイダー 340ml 佐賀県唐津市にて入手】
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三ツ葉サイダー 340ml [地サイダー]

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三ツ葉サイダー 340ml瓶です。

潔いくらいに、本家の三ツ矢サイダーの名称、デザインを模倣した製品です。
権利関係がうるさくなかった昭和30年代〜40年代、こうした製品は数多く存在しており
この三ツ葉サイダー以外にも、「三扇サイダー」「三ツ菱サイダー」など
たくさんの模倣ブランドがありました。

いずれも瓶だけは本家の三ツ矢サイダーのものを流用しており
いかに本家三ツ矢サイダーが寛容であったかがわかります。

この三ツ葉サイダーは、福岡県行橋市にあった
三ツ葉飲料の製品でした。
いわゆる「地サイダー」なので、行橋市を中心とした
福岡県の京筑地域のみで流通していたものと思われます。
(入手したのは、流れに流れ着いた佐賀県でしたが)

参照:三ツ菱サイダー
https://me-young-sitter.blog.so-net.ne.jp/2018-05-03-4
参照:三扇サイダー
https://me-young-sitter.blog.so-net.ne.jp/2010-06-02


【三ツ葉サイダー 340ml 佐賀県唐津市にて入手】
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三ツ菱シャンペンサイダー 340ml [地サイダー]

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三ツ菱シャンペンサイダー 340ml瓶です。

「三菱サイダー」を名乗り、マークまで一緒ですが
三菱鉛筆と同様にあの三菱財閥とは一切関係がありません。
その歴史は古く、熊本県の松田工業が1919年に商標登録をしています。
「セーピス」という、カルピスに似た乳酸菌飲料も1923年に登録していましたが
前者1972年、後者は1967年に同じ熊本の弘乳舎が銘柄を引き継いでいます。

松田工業・弘乳舎ともに比較的広いエリアで事業を展開しており
熊本のみならず九州以外でも流通し
時代の流れに合わせて缶でも展開していましたが
100周年を目前に控えた2017年、
三菱サイダーは残念ながらその歴史に幕を閉じました。
(弘乳舎は現在も乳製品・アイスクリームを中心に展開中)

この写真の瓶は、ラベルが右読みであることと
昭和初期の松田工業のポスターに同様のラベルが描かれていることから
1920年〜1935年頃の物と思われます。

この手の中小企業の製造するいわゆる「地サイダー」は、
戦後に大量生産された三ツ矢サイダーの瓶を流用し
勝手に自社ブランドのラベルを貼って流通させることが多かったのですが
この瓶には下部に「MATSUDA KOGYO」の刻印があり、
戦前はきちんと自社製造瓶を作っていたことが伺えます。

熊本市も1945年に空襲の被害に遭っていること、
松田工業自体が1970年代になくなっていることから
ラベルが付いた状態のオリジナル瓶がそのままの形で残っている例は珍しく
この瓶も、はるばる戦火の届かない愛媛県の山奥まで出荷され
古い酒屋の倉庫の奥でなんと70年以上眠っていたものでした。

【三ツ菱シャンペンサイダー 340ml 愛媛県にて入手】
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毎日サイダー 340ml [地サイダー]

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毎日サイダー 340mlボトルです。

毎日サイダーは、岡山県玉野市にある
毎日鉱泉所が製造している地サイダーです。

かつては様々な飲料を生産されていたようですが、
現在はこの三ツ矢サイダーの空き瓶を流用した
毎日サイダーのみ取り扱っています。

どこかのお店に卸している様子もなく、
毎日鉱泉所まで直接足を運ばないと飲めない「超」地サイダーですが
今時50円という価格も相まって、地元では長年愛されているようです。

この三ツ矢サイダーの旧瓶も、40年以上前の瓶で
現在では貴重なものになっているため
飲んだら必ず毎日鉱泉所に返却しましょう。
(今回はラベルのみ毎日鉱泉所よりいただいてきました。
それを、他所で入手した三ツ矢サイダー瓶に貼り付けて撮影しております。)

【毎日サイダー 340ml 岡山県玉野市にて入手】

甲子園シャンペンサイダー 340ml [地サイダー]

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甲子園シャンペンサイダー 340mlボトルです。

甲子園シャンペンサイダーは、兵庫県西宮市にあった
甲子園鉱泉所がかつて生産していた地サイダーです。

住所表記が甲子園町となっており、まさに球場のすぐ脇に工場があったようです。

瓶は地サイダーによく使われる三ツ矢サイダーの瓶と同じ規格品ですが
珍しくプリント瓶になっています(通常は紙ラベルを用いることが多い)。
また、この手の古い地サイダーにはチクロ等の人工甘味を
使用していないことを意味する「全糖」表記がよく見られるのですが
このサイダーの場合は「砂糖」の他に「人工甘味」「人工着色」の表記がありますので
かなり古い年代のものなのではないでしょうか。

いずれにしても、地サイダーの中ではかなり珍しいタイプの瓶ですね。

【甲子園シャンペンサイダー 340ml 京都府京都市にて入手】
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