ペプシコーラ 473ml 初代ファミリーサイズ [ペプシコーラ]

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ペプシコーラ 473ml 初代ファミリーサイズ瓶です。

1960年代に入り、雨後の筍のごとく様々なメーカーが
コーラ飲料に参入する中で
国内におけるコーラ飲料の覇権争いはいよいよ熾烈となり、
トップを走るコカ・コーラの後をペプシコーラが追う状況でした。
1964年の時点でのシェアは、コカ64.5%、ペプシ19.8%、
ローヤルクラウン4.0%、ミッション3.4%。

コカ・コーラが大手財閥を味方につけて
全国のボトラー網を早期に整備・展開できたのに対し
ペプシコーラは二の足を踏んでおり
すでに3倍のシェアを奪われたこの年が
ペプシにとってはまさにシェア奪還の最後のチャンスでした。

その起死回生策として、1964年11月に発売されたのが
この473ml(16オンス)のファミリーサイズです。
瓶代を除く中味60円という破格の価格設定で、
大瓶戦略で一気にシェアを奪う予定でした。

ところが、そのわずか1ヶ月後の1964年12月に
コカ・コーラがホームサイズと称して
ペプシより27ml多い500mlサイズを同価格で発売してしまったのです。
当然、消費者はコカ・コーラに流れ、
すぐにペプシも500mlに瓶を作り直して再発売をしたものの時すでに遅し。
大瓶戦略もコカ・コーラの勝利に終わり、その差はいっそう開いていったのでした。

参考:1965年以降に作り直されたペプシコーラ500ml瓶
https://me-young-sitter.blog.ss-blog.jp/2009-10-03-5

1971年にコカ・コーラの500ml瓶の破裂問題が発生するものの
もはやペプシは挽回できるほどの体制になく
そこでも逆転のチャンスを逃してしまいました。
(1965年以降の500ml瓶の作り直しが思うように進まず、
瓶の回収率も悪かったために作りたくても作れなかった模様)

ペプシコーラの将来を皮肉にも運命付けてしまった
この悲劇の473ml瓶ですが
販売されたのはわずか数ヶ月ということと
500ml瓶への移行によりすぐに廃棄されてしまったことから
この令和の時代に残っていること自体が奇跡の瓶。
しかもこれが、政令指定都市の横浜市内に約60年間も
誰にも見つからずに転がっていたのだからすごい。

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英文字ロゴ部分のアップ。
このデザインでTRADEMARK REG'D.の表記があるのは
1964年製の瓶の特徴。1965年以降の500ml瓶では丸にR表記となる。
ロゴの下には「473ML.」の容量表記。
1965年以降は首部に白文字で500mlと大書きになり、Family Sizeの表記も加わるが
この初代瓶ではまだそれらの表記はない。

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カタカナロゴ部分のアップ。
1965年以降の500ml瓶にはある「登録商標」の文字はまだない。
カタカナロゴ自体も、1965年以降のものと比較して扁平なフォントである。

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胴部には473MLのエンボスが。

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底部。1964年製を示す64のエンボスがある。


【ペプシコーラ 473ml 初代ファミリーサイズ 神奈川県横浜市にて入手】

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ウイン・コーラ [その他マイナーブランド]

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ウイン・コーラ瓶です。

ウイン・コーラは、日米通商公社により1952年に発売されたコーラ飲料です。
当時、コカ・コーラもペプシコーラも
進駐軍向けに細々と生産されていたに過ぎず、
一般への流通はコーラ原液の輸入が解禁される
1950年代後半になってからです。

ウイン・コーラはその先陣を切って一般向けに発売されたコーラで
「美と健康の世界の飲料」「南国的な情緒の味覚が夢を誘ふ」
「美と健康の果油飲料」「本邦唯一の純良コーラ」などの
キャッチコピーで、幅広く広告展開もしていました。

あのコカ・コーラやペプシコーラに先んじて、
コーラ原液の輸入の壁をどうやっていち早く乗り越えたのかは不明ですが
コーラに似せて香料だけで味付けされた粗悪品が多く出回る中で
このウイン・コーラだけはきちんとしたコーラ原液で作られていたようです。
「本邦唯一の純良コーラ」のキャッチコピーはまさに偽りなし、でした。

1955年には、コカ・コーラとペプシコーラに対し
2年にわたる商標訴訟を繰り広げ見事に勝訴し、
コカ、ペプシの大規模資本を除いては
当時世界初となる商標登録を勝ち取っています。

ところが、そのコカ・コーラやペプシコーラが
1960年代に入りいよいよ急速に普及すると
一気にシェアを失い、1966年には撤退をしてしまいました。
純国産コーラブランドの、わずか14年の儚い夢でした。

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ロゴ部分と胴部のアップ。
本来であれば赤いロゴが印刷されているが、
すっかり剥げてしまっている。

【ウイン・コーラ 千葉県安房郡にて入手】

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パーリーズ 200ml [その他マイナーブランド]

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パーリーズ 200ml瓶です。

Pearl-ies、PEARL SOFT DRINKS PRODUCTSのエンボスがあります。
オレンジを模したエンボスも散りばめられており、
見れば見るほどに、なかなか凝ったオシャレなデザインです。

容量については6 3/4FL OZとのオンス表記があり、
戦後すぐの飲料瓶に多く見られたもの。
おそらく1950年代のものでしょう。

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ロゴ部分のアップ。

【パーリーズ 200ml 千葉県安房郡にて入手】
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クメセイ飲料オレンジジュース [その他マイナーブランド]

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クメセイ飲料オレンジジュース瓶です。

瓶の下部に、KUMESEI INRYO ORANGE JUICEの
エンボスがあるだけで、それ以外の手がかりがありません。
戦前、熊本県に金十字サイダーという銘柄のサイダーやラムネを生産していた
「久米清合名会社」というメーカーがあったようですが、そこの製品でしょうか?
これを拾ったのは千葉県、はるばる熊本から持ち込まれたのでしょうか。

瓶の特徴からして、1950年代〜60年代のものと思われます。

【クメセイ飲料オレンジジュース 千葉県安房郡にて入手】
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栄養飲料(千葉県清涼飲料)200ml [その他マイナーブランド]

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栄養飲料(千葉県清涼飲料)200ml瓶です。

「栄養飲料」が果たして正式名称なのかどうかわかりませんが・・
おそらくオレンジジュース等の果汁飲料だったのではないかと推測されます。
製造元は千葉県清涼飲料工業協同組合で、
1960年代に千葉県一円に出荷していたものと思われます。

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ロゴ部分のアップ。「千」は千葉の「千」ですね。

【栄養飲料(千葉県清涼飲料)200ml 千葉県安房郡にて入手】
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バャリースオレンジ 200ml 1950年代  [アサヒ]

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バャリースオレンジ 200ml 1950年代の瓶です。

バャリースオレンジは、1938年に
フランク・バヤリー氏の開発した新しい殺菌手法を用い
米国でゼネラルフーズ社より発売されました。

果汁飲料はその製造方法は単純そうに見えますが、
サイダーやラムネ等と異なり、生の果実を使用するために
腐敗をいかに克服するかが長年の課題でした。
日本でも戦前より研究が進められていましたが、
「飲料は透明で、成分を沈殿させてはならない」という決まりにより
腐敗問題以前に、果汁の透明化に苦心するあまり
なかなか普及が進みませんでした。

それが終戦後の1947年に法律が変わり透明化しなくてもよくなったこと、
1950年、進駐軍向けにバャリースが上陸したことで風向きが変わります。
1951年にさっそく当時の朝日麦酒が国内での販売権を獲得し
オレンジジュースブームを巻き起こします。
1952年にはリボンジュース、1953年にはミッションジュース、
1954年にはキリンジュース・・というように
雨後の筍のごとくオレンジジュースブランドが乱立しました。

この結果、1951年にはラムネの需要をあっさり抜き去り
1958年には長らく王者の地位にあったサイダーも抜いて
飲料需要の頂点に立ちます。
1964年にはサイダーに再び抜き返され、
1966年にはコーラにも抜かれることになりますが
現在に続くオレンジジュースという一大ジャンルを築いた元祖は
まさにこのバャリースというわけです。

今回ご紹介する瓶は、そのバャリースの国内発売当初のもの。
画像の左側が発売当初の1950年代のもので
右側が1960年代のものですが、違いがわかりますでしょうか??

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1950年代のものは、ロゴ下の内容量表記が6 3/4FL.OZと
米国で主流のオンス表記になっています。

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胴部のエンボスもオンス表記。

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一方、1960年代以降の瓶では内容量表記が200ccとなります。

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1960年代の瓶の胴部エンボス。表記は200ccになった。

バャリースの瓶は、ACL印刷を導入したという点でも画期的です。
それまではガラスのエンボスでデザインをするしかなったのが
印刷によりデザインの幅が大幅に広がっていきました。
現在でもほぼ同じデザインで流通していますが、
コカ・コーラの瓶と同様にそれだけ完成されたデザインだったというわけです。

【バャリースオレンジ 200ml 1950年代 千葉県安房郡にて入手】
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ホクソージュース(銚子 信水舎本店)180ml [その他マイナーブランド]

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ホクソージュース(銚子 信水舎本店)180ml瓶です。

ホクソージュースは、千葉県銚子市にあった信水舎本店の製品で
1950年代〜1960年代に出回っていたものと思われます。

同じ千葉県の成田市にも「信水舎」が存在し
こちらでも同名の「北総ジュース」が製造されていました。
参考:北総ジュース(成田 信水舎)
https://me-young-sitter.blog.ss-blog.jp/2021-06-06-2

参考:2018年まで成田信水舎で製造していた北総サイダー
https://me-young-sitter.blog.ss-blog.jp/2010-05-30-5


両社の関係式は不明ですが、
「北」という漢字4つで円を描き
「総」の文字を取り囲むロゴマークは両社で共通しています。
元々は同じ資本だったのかもしれませんが
派生したと思われる銚子市の信水舎が「本店」をあえて名乗るあたり、
なにやら一筋縄ではいかない問題を抱えていそうです・・

ちなみに成田信水舎の北総ジュースよりも、
この銚子信水舎本店のホクソージュースの方が
20mlだけ量が少ない180mlです。

【ホクソージュース(銚子 信水舎本店)180ml 千葉県安房郡にて入手】
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北総ジュース(成田 信水舎)200ml [その他マイナーブランド]

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北総ジュース(成田 信水舎)200ml瓶です。

千葉県成田市にあった信水舎は、1921年の創業で
地サイダー「北総サイダー」で有名でしたが
2018年に機械の故障により、残念ながら100年弱の歴史に幕を閉じました。
ところがそのわずか1年後、地域の企業が中心となって
復活プロジェクトが立ち上げられ、北総サイダーは復活を果たしました。

参照:北総サイダー
https://me-young-sitter.blog.ss-blog.jp/2010-05-30-5

そんな信水舎が1950年代〜1960年代に製造していたのが
今回ご紹介する北総ジュースです。
当時はサイダーのみならず、こういった果汁飲料も販売していたようです。
ちなみにこの画像の瓶はエンボス表記より1956年製と思われます。

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側面のロゴプリントの痕跡のアップ。

ちなみに同じ千葉県の銚子市にも
信水舎本店という企業が存在し、
ホクソージュースという製品を同時期に出していました。
社名も製品名も全く同じですが、両社の関係性やいかに・・・。

参考:ホクソージュース(銚子 信水舎本店)
https://me-young-sitter.blog.ss-blog.jp/2021-06-06-3

【北総ジュース(成田 信水舎)200ml 千葉県安房郡にて入手】
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高梨乳業 コーヒー牛乳 180ml [コーヒー(大手乳業以外)]

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高梨乳業 コーヒー牛乳 180ml瓶です。

1950年代〜1960年代の高梨乳業(現 タカナシ乳業)の
コーヒー牛乳の瓶です。

一つ前の雪印のコーヒー牛乳のページでも言及していますが
戦前の乳製品は、現在の広口瓶+紙蓋よりも
このような王冠栓が一般的でした。
容量はいずれも180mlが主流です。

タカナシ乳業は横浜ローカルのメーカーですが、
全国にネットワークを持っていますのでご存知の方も多いはず。

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側面のアップ。

【高梨乳業 コーヒー牛乳 180ml 千葉県安房郡にて入手】
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雪印 コーヒーミルク 180ml [雪印]

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雪印 コーヒーミルク 180ml瓶です。

1950年代〜1960年代の、雪印の瓶です。
コーヒー牛乳として販売されていたものです。

この当時、様々な乳業メーカーから同様の製品が出ていましたが
いずれも180mlサイズでした。

コーヒー牛乳等の乳飲料は紙製の蓋の広口瓶のイメージが強いですが、
戦前はむしろこの瓶のような王冠栓が主流でした。

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側面にはSNOW BRANDのエンボス。

【雪印 コーヒーミルク 180ml 千葉県安房郡にて入手】


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