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タカラサイダー 明治〜大正時代 [戦前の瓶(メジャーブランド以外)]

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タカラサイダー 明治〜大正時代の瓶です。

タカラサイダーは、明治42年に宝塚鉱泉合資会社が販売開始したサイダーです。
この宝塚市〜川西市に至る一帯は、三ツ矢サイダー、ウィルキンソンなど
現在に至るまで続く有名ブランドの発祥の地として知られ
良質な炭酸水が湧き出ていたようです。

今回ご紹介する瓶は、そのタカラサイダーの最初期の瓶と思われ
明治期〜大正期に出回っていたものです。
見た目は同時期の三ツ矢サイダーとそっくりです。

しかし、瓶底にはしっかりと「宝」のエンボスが。
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戦後のタカラサイダー瓶はこちらからどうぞ。
https://me-young-sitter.blog.ss-blog.jp/2022-02-13-1

【タカラサイダ 明治〜大正時代 千葉県安房郡にて入手】

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金線サイダー 英語表記 透明瓶 [戦前の瓶(メジャーブランド以外)]

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金線サイダー 英語表記 透明瓶です。

金線サイダーの発売の経緯については、一つ前の記事を参照ください。
参考:金線サイダー 漢字表記 緑瓶
https://me-young-sitter.blog.ss-blog.jp/2021-05-15-1

今回紹介する英語表記の透明瓶は、前回紹介した漢字表記と異なり
瓶が透明になり、エンボスも「KINSEN」の英語表記となりました。
漢字表記の瓶が明治時代のものならば、
この英語表記の瓶は大正時代以降の瓶であると思われます。

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「KINSEN」の英語表記のアップ。

今回は2本紹介していますが、下部の社名表記が異なります。
一つは「金線飲料」、もう一つは「日本麦酒礦泉」の表記。
金線飲料の設立が大正4年(1915年)、
日本麦酒礦泉が金線飲料を買収したのが大正14年(1925年)なので
「金線飲料」表記のものが大正4年〜大正14年までの瓶、
「日本麦酒礦泉」表記のものが大正14年〜昭和8年の瓶と思われます。
(日本麦酒礦泉は昭和8年に大日本麦酒礦泉に吸収合併)

日本麦酒礦泉は三ツ矢サイダーブランドをすでに持っており
金線サイダーもしばらくは併売されていたようですが
ブランド乱立の解消のため三ツ矢サイダーに統一されました。
日本のサイダーの黎明期を代表するブランドでしたが
その最後はなんともあっけないものでした。

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「金線飲料」のエンボス。
瓶の底の作りもかなり分厚く、製瓶技術がまだ未熟だったことの証左。

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「日本麦酒礦泉」のエンボス。
製瓶技術もだいぶ進歩した??

【金線サイダー 英語表記 透明瓶 千葉県富津市にて入手】
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金線サイダー 漢字表記 緑瓶 [戦前の瓶(メジャーブランド以外)]

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金線サイダー 漢字表記 緑瓶です。

金線サイダーは日本のサイダーの黎明期より存在するブランドで
明治38年(1905年)に横浜の秋元巳之助氏によって発売されました。
明治20年よりブランド自体はあったようですが
王冠を使用して本格的に展開したのが明治38年のようです。

三ツ矢サイダーの発売も同じ頃ですから
まさにサイダーの草創期を支えたブランドでした。

発売の経緯については諸説あり、
当時すでにラムネ瓶は流通していたものの、
瓶の構造が複雑であるがゆえに、高価で回収にも苦労した。
そこで王冠で打栓する方法であれば、より安価にラムネを流通できるとして
これを秋元氏が金線サイダーとして売り出したというもの。
もう一つは、秋元氏がサイダーの製造機械を居留地の外国人より譲り受け
一般庶民の嗜好に合うように十数年の研究を重ね
ようやく金線サイダーとして発売するに至った、というもの。
今となってはどちらが正しいのかはわかりませんが
秋元氏の並々ならぬ努力の跡がうかがえます。

金線サイダーの瓶にはいくつかの種類があり、
今回紹介するのは漢字で「金線」のエンボスが
ネック部分にある緑瓶。
この他に、英文字で「KINSEN」のエンボスのある透明瓶が存在します。

参照:金線サイダー 英文字表記 透明瓶
https://me-young-sitter.blog.ss-blog.jp/2021-05-15-2

英文字の透明瓶よりは、この漢字表記瓶の方が古いと思われます。
英文字の透明瓶には大正4年に設立された金線飲料のエンボスがあるので
今回ご紹介した漢字表記の緑瓶はそれ以前の
明治時代〜大正時代初期のものでしょうか。

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「金線」のエンボス部のアップ。

【金線サイダー 漢字表記 緑瓶 千葉県安房郡にて入手】

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ボルド 200ml [戦前の瓶(メジャーブランド以外)]

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ボルド 200ml瓶です。

ボルドは一つ前のページで紹介した通り、
大倉任三郎商店(後の大日本ボルド商行、大倉商店)が製造していた
ぶどうの炭酸飲料です。

この写真の瓶は、大倉商店名義で製造されていた
1950年代のものと思われます。
(戦後の瓶ですが、戦前に隆盛を誇ったブランドであることから
あえて戦前の瓶のカテゴリに分類しました)

戦前は数多くの広告展開もしており
それなりに有名だったものと思われますが
戦後は外資も含む各種飲料メーカーの参入・乱立により
1960年前後で姿を消してしまったようです。

参考:昭和初期のボルド
https://me-young-sitter.blog.ss-blog.jp/2021-04-14

【ボルド 200ml 千葉県安房郡にて入手】
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ボルド 340ml? [戦前の瓶(メジャーブランド以外)]

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ボルド 340ml?瓶です。

ボルドは、現在の日本橋茅場町にあった
大倉任三郎商店(後の大日本ボルド商行、大倉商店)が
製造していたぶどう味の炭酸飲料です。

発売されたのは明治末期〜大正初期と思われますが、
この写真の瓶は大日本ボルド商行名義で販売していた
昭和初期のものと思われます。
(大正時代は大倉任三郎商店、戦後は大倉商店名義だった模様)

参考:戦後の大倉商店時代の瓶
https://me-young-sitter.blog.ss-blog.jp/2021-04-14-1

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胴部には右書きで「大日本ボルド商行」の社名と
「東京市日本橋區亀島河岸」のエンボスがあります。

ボルドの発売元の大倉任三郎氏は、花柳界にも縁があったようで
大正11年にはなぜか大倉任三郎商店の広告部名義で
全国の花柳界についてまとめた書籍を出版しています。
また、このボルドをテーマにした謡曲を作り
花街の宴席で芸妓に歌わせたりするなど
ユニークな宣伝も行なっていたようです。

それにしても、なんともド派手な模様の瓶!
姉妹品として、メリーサイダーという透明サイダー飲料も
出していたようですが、そちらの瓶は特に模様のな
いたってシンプルなものだったようです。

【ボルド 340ml? 千葉県安房郡にて入手】



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