キリンオレンジエード 200ml 1970年〜1970年代中頃 [キリン]

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キリンオレンジエード 200ml 1970年〜1970年代中頃の瓶です。

キリンビール社が販売する果汁10%のオレンジジュースとして、
1953年にキリンジュースが発売されました。

ところが1968年になると、いわゆる「うそつきジュース問題」が勃発。
ジュースという名称は100%果汁飲料にのみ与えられるべき、とした
消費者団体と清涼飲料水業界が真っ向から対立した問題で、
1972年に清涼飲料水業界が降伏するまでこの争いは続けられました。
現在でも「○○ジュース」という名称は100%果汁飲料のみに認められています。

さて、そんな問題が勃発する前から「ジュース」を名乗っていたキリンジュースですが
果汁はわずか10%だったため、この争いに巻き込まれることを嫌ってか
1970年に早々に「キリンオレンジエード」と名称を変更しました。
今回ご紹介している瓶がオレンジエードに名称を変更した時のものです。

1970年代中頃には新しいデザインの瓶に移行したため
この瓶はそれほど多く出回らなかったものと思われます。

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キリンジュース時代の瓶との比較。
左から1950年代の発売当初の瓶、中央が1960年代の瓶、
右がオレンジエードに名称が変更になった1970年以降の瓶。

【キリンオレンジエード 200ml 1970年〜1970年代中頃 千葉県安房郡にて入手】

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ダイヤモンド印レモン 200ml 1960年代の瓶 [布引礦泉所]

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ダイヤモンド印レモン 200ml 1960年代の瓶です。

ダイヤモンド印レモンは、現在も「ダイヤレモン」の名で
兵庫県西宮市にある布引礦泉所が生産しているレモン風味の炭酸飲料です。
布引礦泉所は明治32年の創業であり、
炭酸水製造では国内最古の部類に入る歴史あるメーカーです。
兵庫県は古くから鉱泉に恵まれていたようで、
多くの炭酸水メーカーが存在していましたが、その中でも布引礦泉所は大きい部類でした。

今回ご紹介している瓶は1960年代に流通していたと思われる瓶です。
ひとつ前でご紹介した1950年代の瓶と比較し
エンボス加工で表現されていた各種表記が印刷になりました。

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ロゴ部分のアップ。
このデザインは、現在でも布引ダイヤモンドソーダの瓶で見られるものです。

【ダイヤモンド印レモン 200ml 1960年代の瓶 千葉県安房郡にて入手】

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ダイヤモンド印レモン 200ml 1950年代の瓶 [布引礦泉所]

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ダイヤモンド印レモン 200ml 1950年代の瓶です。

ダイヤモンド印レモンは、現在も「ダイヤレモン」の名で
兵庫県西宮市にある布引礦泉所が生産しているレモン風味の炭酸飲料です。
布引礦泉所は明治32年の創業であり、
炭酸水製造では国内最古の部類に入る歴史あるメーカーです。
兵庫県は古くから鉱泉に恵まれていたようで、
多くの炭酸水メーカーが存在していましたが、その中でも布引礦泉所は大きい部類でした。

今回ご紹介している瓶は1950年代に流通していたと思われる瓶です。
まだ印刷瓶が普及する前のフルエンボス瓶で、
これも1950年代の瓶によく見られた特徴です。

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中央部のダイヤモンド印のエンボス。

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下部には6 3/4OZS(6と4分の3オンス=約200ml)のエンボスが。
戦後、一般用よりも進駐軍での需要が大きかったために
アメリカで用いられるオンス表記にしたのかもしれません。
これも1950年代の瓶に見られる特徴の一つです。
オンス表記の右側に、布引の「馬蹄印」のエンボスも見えます。

【ダイヤモンド印レモン 200ml 1950年代の瓶 千葉県安房郡にて入手】

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ダイヤモンド印レモン 戦前の緑瓶 [布引礦泉所]

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ダイヤモンド印レモン 戦前の緑瓶です。

ダイヤモンド印レモンは、現在も「ダイヤレモン」の名で
兵庫県西宮市にある布引礦泉所が生産しているレモン風味の炭酸飲料です。
布引礦泉所は明治32年の創業であり、
炭酸水製造では国内最古の部類に入る歴史あるメーカーです。
兵庫県は古くから鉱泉に恵まれていたようで、
多くの炭酸水メーカーが存在していましたが、その中でも布引礦泉所は大きい部類でした。

今回ご紹介している緑瓶は
大正時代〜戦前まで使われていたものと思われます。

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中央に、「ダイヤモンド印」「登録商標」の文字の他に
現在も使われているダイヤモンドマークのエンボスがあります。

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ネック部分には銀紙を剥がした後が。
ダイヤレモンは現在でも王冠とネック部分に銀紙を被せています。
その伝統は戦前から受け継がれてきたものなのですね。

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下部には布引の「馬蹄印」と呼ばれる、蹄鉄を二つ組み合わせたシンボルマーク。
馬蹄印は「布引タンサン」のシンボルマークとしても使われていました。
底部にもダイヤモンドマークのエンボスがあります。

【ダイヤモンド印レモン 戦前の緑瓶 千葉県安房郡にて入手】
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キンスイ 200ml [その他マイナーブランド]

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キンスイ 200ml瓶です。

ラベルもほとんど禿げてしまっており
由来も何も全くわからない瓶ですが・・
よく見ると、下部には「金水飲料」の表記があります。
数少ない手がかりでしたが、その情報もネット上にはありませんでした。

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ロゴ部分のアップ。

【キンスイ 200ml 千葉県安房郡にて入手】
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ローヤルクラウンコーラ 192ml(6.5オンス) [サントリー]

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ローヤルクラウンコーラ 192ml(6.5オンス)瓶です。

ローヤルクラウンコーラは、
コカ・コーラ、ペプシコーラに次ぐ
世界第3位の売り上げを誇るコーラブランドです。

1934年に米国で販売が開始され
(ローヤルクラウンという商標自体は1905年に
ジンジャーエールの商標としてすでに存在)、
日本では壽屋(現サントリー)が
1961年のコーラ原液の一般向け輸入解禁とともに
販売権を取得し展開を開始しました。

当初、8オンスサイズで販売されましたが
2年後の1963年に壽屋がサントリーに社名を変更するとともに
この6.5オンス(192ml)瓶が登場しました。
ほどなくしてロゴも変更したことから、このタイプは
あまり残存数は多くないものと思われます。

CMに加山雄三を起用したり、全国各地に看板を設置するなど
宣伝にも力を入れましたが、日本国内での販売は思うようにいかず
コカ・コーラやペプシコーラの躍進の陰に隠れて
1972年にサントリーは国内での販売から撤退。

その後、富山のトンボ飲料や北海道の小原商店など
地方の中小メーカーが販売権を取得し
ローカルブランドとして細々と生き延びました。
これらの地域では、それなりにメジャーなコーラとして
人々の記憶に残っているようです。

1989年になると、当時のポッカコーポレーションが
缶コーラとして再び全国区での展開をしますが
これも1996年には再度撤退となり、
その後国内では展開されていません。

【ローヤルクラウンコーラ 192ml(6.5オンス)千葉県安房郡にて入手】
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ハイスポット レモンソーダ 207ml [カナダドライ]

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ハイスポット レモンソーダ 207ml瓶です。

ハイスポット レモンソーダは、
カナダドライジンジャーエールの姉妹品として
当時のカナダドライ飲料が1970年代に発売していた飲料です。

今でこそカナダドライはジンジャーエールのブランドとなっていますが
当時はこのハイスポットをはじめとして
ジンジャーエール以外の飲料もいくつか販売していました。

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背面のカタカナロゴのアップ。

【ハイスポット レモンソーダ 207ml 神奈川県横浜市にて入手】
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カナダドライ 207ml 1957年〜1960年頃 [カナダドライ]

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カナダドライ 207ml 1957年代〜1960年頃の瓶です。

カナダドライは1957年に国際飲料により発売された
ジンジャーエールをメインとした飲料ブランドです。

今回ご紹介している瓶は1957年製のもので、
まさに国内販売を開始した当初のもの。
印刷がほとんど剝げてしまっているのが悔やまれます。

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よく見ると剝げてしまったロゴが見える。

1960年代以降も基本的には同様のデザインなのですが
この初期瓶は、下部および上部の大小2箇所カナダドライロゴの下に
「ジンジャーエール」または「GINGER ALE」表記がないのが特徴です。

上部の小さなカナダドライロゴの脇には小さくGINGER ALEと書いてあるのですが
まだジンジャーエール自体が馴染みの薄かった時代ということもあり
一体何の飲料なのか、当時の日本人には伝わりづらかったかもしれません。
1960年代以降の瓶では、大小2箇所のカナダドライロゴの下部に
大きく「ジンジャーエール」または「GINGER ALE」と表記するようになりました。

参考:1966年以降のGINGER ALE表記のある瓶
https://me-young-sitter.blog.ss-blog.jp/2021-10-21-1

その後も、瓶の高さや細かな表記の違いはあるものの
2003年まで、実に45年以上にわたって
瓶の基本デザインが変わることはありませんでした。

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瓶の底の57年の刻印。

【カナダドライ 207ml 1957年〜1960年頃 千葉県安房郡にて入手】
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カナダドライ 207ml 1966年頃〜1980年代頃 [カナダドライ]

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カナダドライ 207ml 1966年頃〜1980年代頃の瓶です。

カナダドライは1957年に国際飲料により発売された
ジンジャーエールをメインとした飲料ブランドです。
1966年以降は社名をカナダドライ飲料に変更し
その下で様々なボトラーが販売していました。

今回ご紹介している瓶は1966年頃から使われているのもので、
カナダドライ飲料時代のジンジャーエール瓶です。
発売当初の1950年代の瓶もほとんど同じデザインですが、
「GINGER ALE」表記が極端に小さかったことから
しっかりとその存在をアピールするべく、
1960年代になってから下部のカナダドライのロゴ下に大きく「GINGER ALE」、
上部のカナダドライのロゴ下に「ジンジャーエール」と表記するようになりました。
1966年以降は、ともに英文字の「GINGER ALE」に統一されています。

参考:1950年代の「GINGER ALE」表記が小さかった頃の瓶
https://me-young-sitter.blog.ss-blog.jp/2021-10-21-2

1990年、販売元がコカ・コーラに代わり
同じ瓶のデザインのまま引き継がれましたが
実はそのタイミングで瓶の高さ自体が5mmほど低くなっています。
それ以外のデザインはほぼ同じだったため
1950年代から2004年に瓶のデザインが大きく変更になるまで
実に45年以上にわたって愛され続けたデザインというわけです。

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ネック部分のロゴのアップ。
裏面はこのようにカタカナ表記である。

【カナダドライ 207ml 1960年代〜1980年代頃 神奈川県横浜市にて入手】
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大日本ジュース ネオン 200ml [その他マイナーブランド]

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大日本ジュース ネオン 200ml瓶です。

大日本ジュースは、小田原市の山崎鉱泉所が出していた飲料です。
1921年創業の老舗で、現在は富士ボトリングと名を変え
近隣の大井町に移転した上で、現在でも飲料製品を製造しています。
大日本ブランドは既に終売しており、大手メーカーの委託品や
足柄聖河ブランドを中心とした天然水の製造が中心のようです。

大日本ジュースは、神奈川県を中心に関東地区〜静岡県東部にかけて
1960年代前後に出回っていたものと思われます。
お膝元の神奈川県では広範囲で発見例があるほか、
千葉県、静岡県でも見られることから、比較的広範囲に出荷していたようです。

今回ご紹介している瓶は、大日本ジュースの中でも
「ネオン」の表記が入るパターン。
ネオンの表記が入らないものは青ラベルと赤ラベルが確認されていますが
ネオンの表記が入るものは今のところこの青ラベルのみ確認しています。
両者の違いは一体何だったのでしょうか?

参考:大日本ジュース(ネオンの表記が入らないもの)
https://me-young-sitter.blog.ss-blog.jp/2010-04-26

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▲ネオンの表記が入るロゴ部分のアップ。

瓶自体は、よくあるFresh Drinkというエンボスのある汎用瓶かと思いきや
意匠登録もしてある山崎鉱泉所のオリジナル瓶であることが特徴です。

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▲胴部にはDAINIPPONのエンボスが入る。

【大日本ジュース ネオン 200ml 神奈川県横浜市にて入手】

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